京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1では、鉄道芸術祭として様々なイベントが行われています。
2018年1月19日(金) 19:00 – 20:30に行われた「集団と群集の心理学」に参加してきました!
リンク<ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭

腹ごしらえしていきます

なにわ橋駅前の大阪中央公会堂

こちらから見てもいい感じ

駅は階段で降りて行きます

ここが会場

どんな話が聴けるでしょうか

釘原直樹先生(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)から発表です

早速、鉄道関連。エスカレーター利用者の同調実験。
統制は自然な場合のことで、実験とは2,3人が右側に並ぶと後ろの人が同調するか?
ちなみに門真市駅だと88%が近畿出身で大阪空港は53%が近畿28%が関東出身。
郷に入れば郷に従えの郷とは、今あることとも捉えれるのかな。

話は、集団となった時の行動心理に
鉄道興味から仕事上へ関心が移りました!
しかし、集団で生産になると相当な生産性低下になるのだな

これも、びっくり。確かに人が増えると責任感が薄くなる。
作業者がチェックのうえ、1人だけ再チェックが良いようだ。

社会規範やルールを自然と守るように仕向けるテクニックの事例紹介があり、勉強になった!
不法廃棄抑止のために鳥居を設置したり、集団で意思決定させる、選択肢を少なくするなど。
自然とそうなる仕掛け~ちょっとひねるだけで劇的効果をもたらす。その仕掛けを考えるのがAIにはできないことなんだろうな。ただし、仕掛けを実行するのはAIやロボットの力を借りるのが、これからの働き方のように思う。


最後に許容さがあるのが組織の良さであり、人それぞれに役割があるといっておられた。

 

質疑で、参加者が「私は①で③を攻撃している。」という正直な気持ちをいわれていた。
誰にでも、そういう心理はあると思う。
わたしも業務中におしゃべりが過ぎる人を見ると、どうなのかなと思ったことがある。しかし、そこには全体からみる役割があるのだろう。もちろん、コミュニケーションという面では、適度に必要なことだと、逆に反省する部分もある。
今後、AIやロボットが急速に普及したら、この関係性はどうなるのだろうか?
というのも、パソコンでの作業が、自分でなく自動的に動いているのなら、「口を動かすなら手を動かせ」が「ロボットを動かしておいて口を動かそう」になるように思う。
それが、人間にしかできないことだから。
そういう環境になると、それぞれの役割に寛容な社会になるのだろうか?
それとも、単なるコストダウンで人が減っていくだけなのだろうか?
また、AIやロボットにより正確に処理されるとしたら、努力とは何を指すものになるのか?
「努力」の基準が、時間効率や正確性から人間に寄り添うことができる、あるいはそういう仕組みを作れるといった人間性に代わっていくように思う。

まあ、時間に余裕ができたら、鉄道旅に出かけましょう!
列車の中では、ぼ~っと考えれるのでアイデアが湧いてきますから(経験談)