1964年4月の時刻表を2018年1月に三千円で購入した。
ある人は高いと思い、ある人は安いと思うだろう。
多くの人は高いと思われるだろう(笑)
なぜ、安いのか?
それは、当時を旅することが出来るからである。
時刻表を見ると、当時の都市間の繋がりが明確に残っており、運行本数を現代と比較することで人の移動の変化が見れる。
1964年10月に東海道新幹線が開業する前の4月の時刻表には、どんな日本があったのだろうか
また、50年以上を経て著作権に関係なく旅鉄Gateにアップできるのも価値ありといえる。
さあ、1964年4月の旅へ出発進行!

1964年4月の時刻表

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時刻表のやさしい使い方
時刻表の使い方は難しいものではありません。「この使い方」をひと通りごらんになるだけであなたの旅行は一層楽しいものにあるでしょう。→→→ そう、入り方って大事やと思う。

時刻表のでている項目をさがすには・・・・まず初めに、索引地図で、乗る駅と降りる駅を結ぶ線路を見てください。その線のわきにある赤線数字が時刻表のでている項です。。→→→ 親切!!

乗りたいと思う列車を決めるには・・・・乗る駅の発車時刻を順々に横に見て行きながら、都合のよい列車を選んでください。列車は普通上から下へ矢印(↓)の方向に進みますから、これを下にたどってゆけば降りる駅の欄に到着(または発)時刻がでてきます。→→→ 当たり前の人と知らなかったと説明に感心する人の割合が、この頃から変わったから、いまの時刻表には、説明が無いのかな。

<1964年らしさがある記号>
・Mは電気、Dはディーゼル、機関車が引く列車。→→→ 蒸気機関車も走ってたんや!
・どの列車にも2等車は付くが、1等車には1という記号が付く。
・展望車には展の記号が付く。
・赤帽の取り扱い駅に帽子記号。

 

さあ、1964年の時刻表旅に出かけてみましょう!
で第一弾は、京都~東京を普通電車で鈍行旅をしてみましょう。
2018年では、青春18きっぷを使えば2370円で9時間かければ行けます。
1964年だと、1日で到着できるのでしょうか?

京都駅発の早朝列車ページへ

京都駅6:13発だと浜松駅に12:58で行けるものの、朝がちょっと早いのとずっと座っているとしんどいですね。長時間列車に乗るポイントは乗り継ぎ駅や途中下車で、どれだけリフレッシュできるかが大事なんですよね。
で次の列車は京都駅6:50~8:30米原9:08~9:54大垣でいい感じです。
普通電車に乗っていると、寝台の雲仙・西海や、昼の東京行き特急のこだま1号、ひびき2号、富士1号などが抜かしていく光景を車窓から眺めることでしょう。
しかし、大阪6:42~新津0:34って普通列車でこんな長距離ってありなんかいな(笑)

豊橋から先の時刻表ページへ

大垣からは大垣駅9:57~12:15豊橋へ。
8:39京都発11:46~12:15名古屋20:39東京着も捨てがたいが、特急ほど席が快適ではないし、お尻痛くなるんで。。しかし、このころの普通電車の運行本数って少ないですよね。急行が停まるような各地方の主要都市に人口が集中してたんでしょうかね。

豊橋~東京の時刻表ページへ

豊橋で駅弁を買って、豊橋駅12:36~14:44静岡15:01~16:51熱海へ。
熱海で、せっかくなので温泉に入り一杯やって熱海駅19:01~21:11東京駅着ですかね。


旅程を年代対比すると
新快速と特快のスピードupがすごいね。
でも、1964年だと熱海が、ちょうど夕食時なのがいいな。
2018なら、どこかで観光しながら、夕方に合わせたらいいんだった。
 

経路を索引地図を見てたら、藤枝から私鉄が…
静鉄も範囲が広い。遠鉄も…
ああっ静岡港線がある。
これは乗るしかないっ!!

というわけで静岡港線の時刻表を見ると
4往復のみなんですか…

旅プランに静岡港線を入れてみました

しかし、清水港ってどういう経路を通っていたのだろう?
廃線マップの登場です。静岡港線を知ったのは、宮脇俊三先生の「時刻表2万キロ」を読んだ時だった。ホームの位置が分かりにくいと書いていたと思う。読み返してみた。今ではお目にかかれない混合列車や当時の匂いがしてくるような車窓の描写など、目に浮かんでくる。時刻表と地図と宮脇本で旅をしているようだ。

Wikipedia – 清水港線リンク
ウィキペディアによると清水港線は、昭和30年代には国鉄一の黒字路線になったこともあるが、1972年(昭和47年)以降は、通学用に朝に下り1本、夕方に上り1本の1日1往復しか設定されなくなったそうだ。


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