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いろいろ色の小話2(ドクター編)

いろいろ色の小話2(ドクター編)

平成24年2月10日

1.七条橋にて

平成24年2月4日午前11時、JR京都駅で青山さんと待ち合わせ、 本日の目的である
「墓場から覗く人間社会―墓石をめぐる学際的研究 II 」へ向かうため、
京阪電車へ向かって歩いていた。

青山さんは、市役所に勤務しながら、立命館大学の客員研究員で博士でもある。

当然ながら、本日のテーマである墓について話をしていた。

七条橋の上だった。

「青山さん、探偵ナイトスクープから連絡来ないですわ。
最近放送されているものを見ると、そろそろ電話かかって来ないと、という感じなんですけどね」

「でも忘れた頃に来ることもあるって、聞いたことが有ると、
武司さん言うてはったから、まだ可能性は、あるんとちゃうんですか」

「いやあ、もう静岡行きたくて、たまらんのですわ」

青山さんとは補完し合える関係で、いいコンビなのかなと勝手に思っている。

私は直感的に捉えるタイプで、ある分野では、新しい発想をするのが好きなのだが、それを表に出すと、周りから理解されないことが多い。

ちゃんと説明しないといけない所を、意図的では無いが、はしょったりしていて、そういう所を青山さんは、優しく時間をかけて整理してくれる。

逆に青山さんは、私の色々飛びまくる考えが、刺激になっているようだ・・・と思う。

基本的には、前向きというか、直ぐにやろうという所が共通点だと思う。

「あっ、そうですか。そうですか。」

少し、青山さんの眼の色が変わった。

青山さんも、自分達で調べたいと思っているようだ。

「武司さん、静岡のいまちりさんという、高校の教師をしながら地理研究をされている方がいて、その方と来週会うんですよ。

墓の色の境について、何か知っているかもしれないので、話してみようかと思ってるんです。」

「はい」

その時は、まだ漠然としていたが、家に帰る頃には、何があっても調べたい
と思えるほどのエネルギーに変わることになる。

 

2.叡山鉄道

京阪の出町柳駅から叡山鉄道の駅へ向かったが、
直ぐに電車が発車してしまい15分待ちになってしまった。

少し遅刻かな、と話していたところに、目的地に向かう電車が到着した。

到着した電車は観光電車で、窓が大きく横並びの席もあった。

青山さんが「京都に居ながらにして、始めて乗るんですよ。武司さんは?」

乗り鉄の意地にかけて、当然という顔で「かみさんと紅葉を見に乗りに来ました。」

そう、叡山鉄道は、鞍馬に向かう電車の中で紅葉が見られるスポットでもある。

そうこうしているうちに、電車が走り出した。

電車の中で、青山さんが持ってきた研究発表者の経歴を見ていた。

その流れで研究者=ドクターの話になった。

青山さんが言うには、ドクターになるには何年も研究をして論文を書いて、やっとドクターを貰えるとの事だった。

10年かけてという人も当たり前で、そこから助教授とかになれたらいいのだが、研究員として残るとなると、就職とか探すのも大変ということだった。

安定した仕事があって、当然、通常業務をこなした上ではあるが、自分がずっとやっている「地価」について研究出来ている自分は、恵まれた状況にいるのだと再認識した。

 

3.セミナーでまさかの自己紹介

二軒茶屋駅に到着し、会場である総合地球環境学研究所に向かう。

そこは綺麗な建物で会場に入ると受付があり、受付を済ませて中に入る。

会場は、スクリーン前の中央の位置に、コの字の席に7名ほど座っていて、その周りをランダムに椅子が用意されていて、20名ほどが座っている。

聴講する者は、横に並べられた席という感じだと思っていたので、少し違和感を覚えた。

青山さんと10分ほど遅刻で入ったせいか、場違いな人間と見られたのか、私達2人に対して微妙に視線を感じる。

青山さんが「1人では行けないけど、武司さんがいるから」と電車の中で言っていた意味が、なんとなく理解できる。

東京外国語大学特定研究員の小山さんが、趣旨の説明をしている。

小山さんはメガネをしていないが、声のトーンや口調が、トリビアの泉の司会者をしていた八嶋さんに、似ている。

その八嶋似さんが、少し軽いノリで、楽しくマニアックに墓の研究をしましょう、
という感じの話をされていて、中央の発表者達も笑顔で返答している。

何やらアットホーム?な感じでやっていくらしい。

そして、自己紹介となったが、なんと、発表者以外の人も自己紹介してください
と八嶋似さんが笑顔で皆を見渡した。

ええっ!俺も?

中央席から自己紹介が始まった。

中央が終ったら2番目やん!

中央席の人は皆さんドクター。

さらに私の前の人もドクター。

ひょっとして一般人って私だけ?と思ったが今さら帰れないし・・私の番が回って来た。

ここは腹を決めて

「株式会社何々の武司です」

「今日は仕事では無く、趣味で来ました」

「私、昨年に13年かけてJRを全線走破しました」 どよめき。

やった~つかみはOK。

「そこで車窓からの眺めで、気になることが有ったんです」

「関西では墓石がグレーで、関東では黒が混ざっていて、新潟あたりだと黒の割合が多かったような記憶があるのです」

「それで東海地方に調査に行き、境目が静岡にあることを発見しました」 会場は大盛り上がり。

「今日は、境目について、もしご存知でしたら教えて頂ければと思い参りました。」
八嶋さんが、これは今回もエキサイティングになりそうですねと話している。

そして、

「ところで今回の研究会を、どこで知られたのですか?」と八嶋さんから質問があった。

そう、こういう所で順序立てて話が出来ないのが私である。

すかさず青山さんがフォローしようと、話を始めようとしたところで

「それは、次の青山さんから」と私が着席した。

青山さんは

「市役所に勤めている青山です。

立命館大学の客員研究員もしています。」

「武司さんとは、地価分析を立命館大学と共に、共同研究しています。」

「専門は地理情報ですので、明日の地理情報活用についての方で、検索が引っかかったのですが、武司さんと墓の話でちょうど話題になっていましたので、参加させて頂きました」

さすが、解り易い説明で、周りが「へ~」という顔をしている。

その後、色々な人が自己紹介していたが、殆ど博士か院生、助教授?という人ばかりで

少し場違いの所に来てしまったかと気持ちが小さくなった。

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4.石材も経済と共に

その後、1つ目のテーマの話が始まり、次のテーマに移った。

そのテーマは「石は世につれ-日本の石材産業の歴史」という、一番聴きたかった内容である。

国士舘大学の犬養さんが説明に入る。

私は以下のようなメモをした。

☆石材市場とは

・建築石材

・墓石、石碑

・庭園

本日のテーマは

1.「御影石」(花崗岩)とは

2.日本の花崗岩の産地

3.歴史・貿易

御影石の命名は、兵庫県の御影でとれた花崗岩が名の由来らしい。

☆良い花崗岩

・耐久性

・硬い → 近年は加工しやすいへ

・白黒落ち着きがある

・「白御影」、「黒御影」、「桜御影」などがある

☆産地となるには

・色

・均質

・光沢

・耐久性

・大量

・搬出

・消費地に近い などが条件となる。

瀬戸内海では大阪や京都に近いことが、産地となる要因となった。

1990年~2000年に、半減から9割減に国内生産量が落ち込む。

☆現代の墓は明治以降の墓

墓石は、現地から運ばれた物から、輸入するものへ変化

近代になり業者が定着化した。

☆大衆化したのは戦後

1945年以降 火葬となる

1950年代  都市計画による集団墓地

1972年墓地埋葬法

質疑応答に入った。

なんとなく、自己紹介した時の境の話を、きかれる予感がする。

いくつかの質問を経て、八嶋さんがトリビアでゲストに話題を振るように、私に先ほどの色の境の話をきいてきた。

私は立ち上がり

「今年1月に、電車の車窓から墓の色の調査をしました。」

「焼津、藤枝あたりではグレーだったんです。」

「そこで静岡まで戻って、清水から静岡駅まで調べたら黒が混ざっていたんです。」

「驚きだったのは、日本坂という焼津との境を越えて、静岡市に入った用宗駅の北側に墓地を発見しました。

なんとグレーだったんです」

「私は、この境に3つの仮説を立てていました。

1つは日本坂、2つ目は安倍川、そして徳川家康説です」

「そのうち日本坂説は無くなりました。

なんとなく地形的な境で切れるというよりは、徳川家康まで行くか解かりませんが、何か昔からの慣わしとか。

そういった事が、墓石の色の分断要素ではないかと考えています。

ご存知の方はいらっしゃいませんか?」

この話をすると大体、みんな笑うのだが、し~んとしている。

あれ、何か雰囲気が堅いぞ?
この後の数々の発表を終えた時、この堅さの意味と、浅はかな言動を後悔することになる。

犬養さんは、答えくれた。

「色の地域的違いをあまり意識していませんでした」

「流通の関係だとは思いますが」

八嶋さんが、他の研究者にも振ってくれたが、あまりこれだという話は出てこなかった。

 

5.普通は知らない墓の話

続いてのテーマは「墓に集う、墓に遊ぶ-現代沖縄墓場考」だった。

発表者は広島大学大学院の岡さんで、実家は石材店だからか、墓の話とあっても堂々とした話しぶりである。

岡さんは、沖縄でしか見られない状況を語ってくれた。

沖縄では、洗骨という、乾かせ腐敗させた跡に、骨を洗い納骨するのが戦前では、一般的だったらしい。

ちょうど先ほどの話の、明治以前の日本は、土葬が一般的という話と時期を同じくする。

その後、戦後に火葬が急増し、横穴式に掘込んだ墓から、大和墓といわれる本土に近い形の墓に移行して行ったらしい。

これらの話を聞いて驚くのは、現代の墓は明治以降の墓という点だった。

漠然と墓は、昔から有るものと思っていが、そうではないようだ。

戦後の高度成長によって、墓についても同じように、凄まじい供給で一般化されたのである。

そこで、ふと恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。

徳川家康説なんて、調子に乗って言わなきゃよかったと後悔した。

墓の色が違うのは、最近の墓であり、徳川家康は何の関係があるの?と会場の専門家の人は思ったに違いない。

また、こんなに真面目に研究している人達に対して何の知識もなく、そんな事よく言えるなとも思われただろうか?
返答に苦しまれたのは、そういう意味もあったのだろうなと、落ち込む。

落ち込んでいる間も、沖縄の話は続いている。

沖縄は、全国で一番、区画あたりの面積が広いそうだ。

墓が出来たときや十六祭・清明祭といった時に墓の目の前で、親戚一同が食事をするらしい。

しかも、1日ずっといるのも珍しくないらしい。

ちなみに、最近の沖縄の大和墓の写真が画面に写った時、色を見たが黒色が、そこそこ混じっていた。

関東系?というより最近は輸入だから、最新系なのかもしれない。

次に、東京大学大学院の鈴江さんから「骨が生み出す墓-台湾における死者の骨と墓の立地」の研究発表となった。

さきほどから質問のたびに八嶋さんは、この鈴江さんに振っているので相当、墓には詳しいようだ。

鈴江さんは、話す前にえへんと必ず咳をされる。

緊張されているのだろうか、そう、必ずしている。

鈴江さんの話によると台湾では、古くなった墓は墓標を壊して”移転しました”という札を、業者が貼るらしい。

それで親族が怒るかと思いきや、当たり前のことで、怒る人はいないらしい。

ただ、骨は別の安置所に保管され、いつでも見に行く事ができるらしい。

要は墓標とは、当初に必要なものであって、時間が経てば、骨さえあれば良いという発想らしい。

確かに骨あっての墓標だ。

八嶋さんがノリノリで

「ここで、この第二回の確信に迫ってきましたね~エ。骨と墓。
キーワードが整ってきましたね~エ」

話的には重たいセミナ-だが、八嶋さんが居るから、普通のセミナーでいられるのかもしれない。

ここから、ガンガンに八嶋さんから色々な質問が、鈴江さんに当てられる。

鈴江さんは、もう咳が3回ぐらいのタイミングになっている。

かなり一杯一杯だ。

でも八嶋さんは、喋りが止まらない。

そうこうするうちに、時間が来たのだろうか、次の発表者の紹介に移った。

次に発表するのは、東京大学大学院の里田さんで、題は「『海の上の墓地』とその現在」。

一番印象に残った話は、ソロモン諸島の人が、コンクリートで墓を作っているという事に対して、
「何故、石ではなくコンクリートなのか」という質問があった時に、
コンクリートは、現地ではなかなか手に入らないもので、すごく高いお金を払って、しかも親族が3年とかをかけて作っていて、高貴の扱いをしているということだった。

お墓に、出来るだけの事をしようという人々、
台湾のように墓ではなく骨が大事という人々、
お墓が交流の場となっている沖縄、
色々な人の思いにより墓の形は異なるが、絶えず新しいものへ変化して行っているという点は、共通している。

もっと過去から見つめないと、今の墓の色は語れんなあと思った。

 

6.懇親会

セミナーが終って、懇親会場に青山さんと移動する時、自然と鈴江さんの近くを歩いていた。

鈴江さんから貰った佐渡の土葬から石塔への選択の本には、戦後になってからの、
土葬から石塔に変わる理由が、現地調査を通して事細かに書かれていた。

それを読んで、これは相当詳しい人だから、色の境についての見解をききたいと思ったからだ。

会場に入ると、宅配のピザや寿司がテーブルに並んでいる。

ちゃっかり鈴江さんの横に座った。

鈴江さんに、色の境についてどう思われますかときいてみた。

「夢がない言い方で申し訳ないですが、石材店には後ろに卸がいて、卸は一括で石を購入するので、産地に左右されるところが大きいと思います」

やはり産地説か。

先ほどのセミナーの休憩時間に、花崗岩の地域別サンプルが置いてあったので、地域毎に黒色の割合について集計してみた。

北海道・東北 31のうち3

関東・甲信越 26のうち6

東海・近畿・北陸 16のうち1(しかも、その1とは那智黒!)

中国・四国 22のうち1

九州 8のうち0

東海と近畿が一緒という分類が、非常に気になるところではあるが、圧倒的に関東から東北にかけて黒の割合は大きい。

やはり産地で分かれてしまうのか。

 

7.帰り道

青山さんと、青山さんの知り合いの京都大学大学院の清原さんという方と、一緒に帰ることになった。

お二方で、GISに関する世間話をされている。

その後、青山さんから、墓の色の話について意見を清原さんに投げかけられた。

清原さんは、色については多くは話さなかったが、墓の基本について話をされた。

中世は一般人の墓は無く、例えば木津惣墓という供養塔があることや、考古学の先生で墓を専門にやられている方の話など。

そして、今日の色境界説は仮説ではなく、推論だと言われた。

もっともである。

これが、あの徳川家康説の後の、静けさの理由だったと思う。

そして、趣味でなら、どこらへんでという調査で構わないが、しっかり認めてもらおうとするならば、墓が立てられた年なども無いと話にならないと言われた。

もっともです。

趣味でとか、徳川家康がとか、真面目にやっている人から見たら、腹が立つのは当然だろう。

ただ、懇親会で境について分かったら、教えてねという声を、結構、かけて頂いた。

ここは、真摯に取り組んで行こう と誓った。

 

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