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いろいろ色の小話3(フィルドワーク編)

いろいろ色の小話3(フィールドワーク編)

平成24年7月30日

1.木曽路を東へ

平成24年7月下旬、中央線経由で墓石の色を調査しながら、東京に向かう。

電車上から、おおまかな色の境を特定することを目的として、一部現地で歩いて調査を行うことを予定している。

また、事前に国土地理院の1/25,000地形図を購入し、墓地または寺に赤丸をして、車窓から、あるいは下車して、墓石の色をチェックする準備は出来ている。

名古屋発、中津川行きの快速電車に乗った。

始めの墓地は、岐阜県の多治見駅付近を予定している。

愛知県内で中央線からの車窓には、残念ながら墓地が存在しない。

愛知県は、東海道線でもALLグレーが多く、境目という面では問題ないと思っている。

多治見駅を発車し、右側の寺を探すが確認できない、その後、8箇所空振りとなった。

原因は、地図上で線路に近くても、家や樹木が間にあって確認できないなどで、簡単には確認させてもらえなかった。

そして、9箇所目である瑞浪・釜戸間で、死角があって全て確認できないが、黒い墓石が無い墓場を確認できた。

武並・恵那間では、3箇所予定していたが空振りだった。

しかし、墓展示場が有った。

展示墓石の色は基本グレーだが、かなり濃いグレーがある。

相当黒に近いが、真っ黒ではなくグレーを一部残している。

そして、恵那・美乃坂本間でALLグレーを発見し中津川駅に到着した。

予定している電車に乗るまで、1時間程度時間がある。

中津川といえば、最高気温が高いと聞いたことがあるし、今日は凄まじく暑い。

しかし、ここで調査しなければ家に帰ってから悔いが残る。

そこで、4箇所徒歩で調査したが、敷地に入れなかったり、墓が無い寺だったり、地形図が古いのか墓が存在しなかったりで、1時間歩いて成果ゼロだった。

汗だくになりながら、田立駅に向かう予定の電車に乗り込む。

田立駅は、岐阜県から長野県に入った1つ目の駅であり、電車上では確認できない箇所に墓地があり、下車して詳細に調べることを事前に決めていた。

田立駅を降りて数分のところに、目的の墓地がある。

保育園の裏にあった。

普段、目にする3段の石で構成されている墓を、和型墓碑というらしいが、それとは明らかに違う、かなり古い墓が殆どで色は全てグレーだった。

1基だけ和型墓碑があった。

その色は、濃いグレーだった。

そして、田立駅に着く少し前に車窓から一部黒がある墓が見えたので、中津川行きで戻って確認するために田立駅に着いた。

そこには、70歳代ぐらいのおじいちゃんが、座っていた。

おじいちゃんは、私に話しかけてきた。

「何かええもんでも探し歩いてるんかい?地図もってるでのう」

「墓の色を調査しているんです」

おじちゃんは「最近、墓を建てたで」と言った。

私は「田立で、ですか?何色ですか」と聞いた。

おじいちゃんは「田立や。アフリカ産の黒や」

電車が来て、おじいちゃんと乗り込む。

おじいちゃんは「スウェーデン産が一番ええんやで。私は墓作りの修行してるんよ」と言った。

ええっ、その御歳で墓作りをされてるの?しかし、こんなところで、このタイミングでストライクな人に会うとは!

「ここらへんは、黒の墓石は有りなんですか?」→「坂下の墓地じゃったら300ぐらいのうち30ぐらい黒じゃよ」

「中津川はどうですか」→「中津川はわからんわ」

そして、おじいちゃんは坂下駅で降りていった。

坂下駅はぎりぎり岐阜県だが、長野からの黒の流れが来ているようだ。

中津川で、色が確認出来なかったのが悔しい。

しかし、長野県に入って、どこかで境というのは無さそうだ。

下りの中津川行きが、そのまま上りの松本行きにとなり、車窓からの調査を続行する。

色は予想通りだった。

詳細な数は確認出来ないし、境目の確定時には、現地でしっかり確認することとして、大体の割合だけメモをとった。

○大桑~須原間の墓地 半分が黒(ただし、濃いグレーだったかもしれない)

○木曽福島~原野間の墓地 6割が黒

○薮原~奈良井間の墓地 7割が黒

○奈良井~木曽平沢間の墓地 7~8割が黒

○日出塩川~洗馬間の墓地 7割が黒

そして塩尻駅に着いた。

2.3月のフィールドワーク

塩尻駅に着いて、小腹が空いたので駅そばに入る。

安雲野草わさびそばを頼んだ。

野沢菜のような食感で、わさびの味がする。

すこし鼻がつーんとするが、そばとのバランスが絶妙に良い。

そばをすすりながら、濃いグレーの墓石の事を考えていた。

そういえば静岡もそうだったなあ。

そう、静岡へは現地調査に今年3月に行っていた。

安倍川付近が境だろうか?と静岡駅で電動アシスト自転車を借りて、バッテリーが無くなる寸前まで調査した。

全58箇所のうち確認できたのは44箇所で、安倍川より東の静岡市中心部では、ALLグレーは確認出来なかった。

また、焼津市・静岡市の山境と、安倍川までの間にある、用宗エリアでは、1箇所だけALLグレーが確認出来た。

そこは、静岡市街地からだと安倍川を駿河大橋で渡って、直ぐのところにある「丸子新田共同墓地」で、住宅街の中にぽつりとある45基が存在する場所だった。

「S52/7/3施行の墓地管理規定に依り運営」とあり、比較的新しい墓地と思われる。

また新幹線車窓からだと用宗駅北にある、新幹線を名古屋側から東京に向かっていて、最後のALLグレーに見えた墓地は、実際には10基ほど黒が存在していた。

調査結果からすると静岡市では、まだ黒が有るというのが事実だった。

そして、帰りの静岡駅からの電車で、ALLグレーの変わり目を確認することにした。

焼津ではALLグレーと思っていたが、よく見ると黒が数個混じっている墓地が有った。

調査は、確実に行わなければならないことを、痛感する。

静岡市よりもっと西であれば、この自転車での調査は必要なかったからだ。

○菊川~掛川間 黒2つ有り

○磐田駅東 黒1つ有り、その先でALLグレー発見

○天竜川駅東 ALLグレー

○浜松西車庫前 ALLグレー

○舞阪駅東 黒1つ有り

現地で確認して結論を出すべきだが、どうやら磐田~浜松あたりに境がありそうだ。

それが、3月の静岡での調査結果だが、腑に落ちないことがあった。

静岡市街地の北にある、しずはた山の斜面にそって墓地が10箇所ほどある。

300基ほどで黒が6基、300基ほどで黒が4基、1000基ほどある墓地で黒が6基と極端に黒の割合が少ない墓地が存在する。

ただし、市街地の寺では、総数が少なく割合はそう低くはない。

また、安倍川を渡っても、やはり黒の割合は低い。

しかも、濃いグレーが多く見受けられる。

濃いグレーは黒なのか、やはりグレーなのか?悩んでしまった。

ひょっとして中間地帯って、あるのだろうかと行き詰まってしまった。

そして、関西でも少し黒がある場合もあり、用宗では1個しか黒が無い墓地や、1箇所だけALLグレーの場合もあり、何をもって境とするのか決めきれずに今回の調査に至った。

そばを食べ終わり、残った汁を見ていた。

ある本で、そばのだしの境を調査してたなぁ。

結論は中間地帯が有った、で締めくくっていた。

墓石の色だったら、どういう中間地帯なのだろうと考えながら、甲府行きの電車に乗り込んだ。

3.塩尻から山梨へ

塩尻駅から、今日の宿泊予定地の甲府へ向かう。

ここからは、地形図を用意していないので、出てきたらチェックしようと思う。

早速、発見。

なんとALL黒!意識して見る中では初めてのALL黒だ。

そして、茅野駅近くでもALL黒だった。

これだけALL黒だったら、墓石の色を聞かれたら、ここらへんの人は、そりゃあ黒と言うだろう。

関西とは真逆である。

旅路の電車の中は、考え事には持って来いの場所だと思う。

見慣れない景色、聞き慣れない言葉などが、体に取り入れられる。

そして、いつも使わない神経回路が作動する中で、何もやることが無い状況。

ぼーっとしていると、色々な発想がわいてくる。

今回は、墓石の色の境について外を眺めながら、ぼーっとする。

・塩尻がALL黒で、愛知がALLグレーとすると、どこかに境が有ることになる。

・事実関係からすると、塩尻から段々と黒の割合が減っていっている。

・岐阜側からすると、何か変化があっただろうか?そうだ、濃いグレーだ。

・黒側からは量的変化が、グレー側からは質的変化がということか。

・中間地帯とは、黒の数が減退するのみでなく、グレーと黒の間の中間色が出現するのみでもなく、ミックスされた領域が中間地帯と言えるかもしれない。

ビジネスホテルに着いて、甲州ワインの白・赤一杯ずつのサービスがあった。

駅前デパートで買った、タイムサービスの半額弁当を食べながらワインをいただく。

さすが産地で作ったワインだけあって美味しい。

ワインのように白か赤かと割り切ることもあれば、割り切れないことも世の中には有るのかもしれない。

【車窓からのだいたいの割合調査結果】

○小淵沢駅近くの墓地 7割が黒

○竜王~甲府間の墓地 3割が黒、3割が濃いグレー、4割がグレー

4.河口湖へ

次の日、甲府駅から上り電車に乗り込む。

本日、初めに出てきた墓地は、殆どグレーだった。

黒があったかは確認出来ないが、黒地域の中で、ぽつんとALLグレーの墓地か、静岡でも有った。

ただ、グレー圏の中での黒が少し有る墓地よりは、かなり少ないように思われる。

段階的に変化していくパターンも有れば、突然に質量が変化する箇所がある。

これは、どう捉えればいいのだろう。

何か例えが無いだろうか?

そうだ、商業地と住宅地の関係ではどうだろう。

駅前に専用の商業地(黒)があって、段階的に割合が減っていく。

住宅地(グレー)からは、住宅の性格を残しながら商業化していく併用住宅が現れる。

(濃いグレー)土地利用が交じり合っていく混在地域(中間地域)がある。

昔の街とは、そういう形態が中心だった。

ところが、近年、郊外化によりポツリポツリと大型郊外店舗が出来た。

それ以前でも、住宅地に郵便局的役割や、中心地でない街道に商業地はあったかもしれない。

グレーの中に、ぽつりと黒は多く考えられる。

逆に黒ばかりの中でALLグレー、つまり商業集積地にぽつりと住宅街は少ない。

ようやく仕事に引っ付いた。

以前、墓場セミナーで知り合った清原さんに、GIS分科会の懇親会で「武司さんの知りたい事は、墓の本質ですよね。だったら、墓の文献を読んで墓を現地で見て、はじめて色ですよね」と言われたことが、頭にいつも残っていた。

それで墓についての本を読んでみた。

確かに基礎知識は必要。

ただ、私は墓そのものよりも、地域的な違いに関心があった。

だから、どこで境になるかに執着した。

そして、境と捉えられることもあれば、ゆるやかに変化している事もあることに気付き、それが実務での応用的な考え方に結び付く。

そういう事を追い求めていたのだと今、わかった。

その間も、車窓に出てくる対象について、割合をメモしていく。

○東山梨~塩山間の墓地 3割が黒

○初狩~大月間の墓地 2~3割が黒

そして、大月駅に到着した。

ここから、富士急行鉄道で河口湖へ向かう。

関東甲信越の私鉄で乗っていないのは、ここと東武の栃木駅以北と、東京メトロの一部のみなので、この機会に乗ることにした。

○寿駅近くの墓地 5割が黒

5.河口湖から東京へ

河口湖から新宿へ高速バスで向かう。

大月~河口湖間、片道1110円という運賃がネックになって長年、走破できなかった。

しかし、バスだと新宿まで1700円で済む。

目的が乗ることのみなので、行き止まり路線を走破するのは、いつも悩む。

今回は、高速バスを利用することで、行き止まりでは無くなった。

ここに時刻表のおもしろさが有る。

○大月JCTまでの2箇所 7割が黒

○談合坂SA西 7~8割が黒

○首都高高井戸付近 2~3割が黒

6.新宿バスターミナルから飯田へ

17:20に、新宿バスターミナルから飯田駅前に向けてバスが発車した。

バスでも電車と同様に、ぼーっとする。

しかし、河口湖から新宿行きのバスでも思っていたが、何かが違う。

なにか、ぼーっとに集中できない。

何故だろう?

そうか、高速道のフェンスで車窓がイマイチとか、どちらかというと郊外に高速道路があるとかの理由は少なからず有るとしても、電車のように、停車して人の行き来とか会話とかが無いから、刺激が足りないのかもしれない。

夕食は、明日の朝5時からの現地調査に備え、おにぎりを車内で食べるだけにした。

7.飯田という街

飯田駅にバスが到着した。

駅から今日の宿に向けて歩く。

チェーン店でない居酒屋が、駅前から続くメインストリートに、多く張り付いている。

宿までは10分近くかかりそうだ。

しかし、もう駅から結構歩いているのに、まだ居酒屋が張り付いている。

飯田市は、そんなに人口は多くないはずで、周辺町村から飲みに来る人が多いとしても、居酒屋を含む飲み屋の数が多く感じる。

現に店の中を見ても、客はちょこっと、という店が多い。

しかし、各店に独特の雰囲気があり、入ってみたい店が結構あった。

明日の早朝現調が無ければ、間違いなく馬刺しでもつまんでいたと思う。

この混在地域である居酒屋の多さを、墓石色の変化から発想した土地利用の変化についてと、だぶらせて考えてしまう。

以前行ったことのある前橋市のように、駅前に大型店舗はあるが、それから居酒屋なんてほとんど無い県庁所在地の駅前もあれば、飯田のように、あまり目立たない街だが中間地帯が広い街もある。

墓石の色分布に多様性があるように、土地利用の構造も街によって多様性があると歩きながら思う。

宿近くに行くと、おかみさんが、外で待っていてくれた。

次の日は、4:38に目が覚めた。

朝5時から飯田市内で10箇所の調査を、電車の出発時刻である6:23までに行った。

結果は2箇所確認出来て、1箇所は黒が2~3割、濃いグレーが1割だった。

もう1箇所は、総30基ぐらいで半数が黒だった。

それ意外に、貴重な発見をした。

柳田家の墓があった。

写真左の石が、その墓だった。

その他に数基あったが、すべて元はグレーで変色している。

田立での墓地も、古い墓はグレーだった。

基本的には、ここらも採れた石からグレー中心だったのが、塩尻からの流れで現代的な和型墓碑が建てられるにあたって、黒が増えたのではないかと推測する。

8.伊那路を西へ

飯田線を豊橋に向けて出発した。

○切石~鼎間の墓地 2~3割が黒、濃いグレーが有り

○山村~伊那八幡間の墓地 2~3割が黒、濃いグレーが有り

○千代駅(長野県内)近く 確認できる範囲ではALLグレー(ただし小規模)

○鶯巣駅(長野県内)近く 2基のみでALLグレー

少数なので断定は出来ないが、長野なのにALLグレー圏が有る?

ここから、一度、静岡県に入ってから愛知県となる。

飯田線における静岡県西北部の状況を確認するため、集落が有る駅で途中下車することにした。

佐久駅で下車する。

市町村合併があったからだろう、浜松市天竜区になっている。

佐久駅から急傾斜の道路を10分ほど登ったところに200~300基が存在していた。

黒が5基、そして、濃いグレーも有る。

まだ調査は出来ていないが、3月の車窓からの確認情報からだと、浜松市街はALLグレーが想定されるだけに意外だった。

その後、次の駅である中部天竜駅にある集落まで40分ほど歩いた。

電車を待っていられないから、歩くことにしたが、頭がふらふらして来た。

しかし気力で到着。

黒が2基、濃いグレーも存在した。

まだALLグレー地域では無いようだ。

その後、電車に乗り込み愛知県に入った。

愛知県に入って1つ目の東栄駅の西側斜面に墓地が有り、全ては確認できないが1つ黒を発見。

岡崎石の影響力が強く、ALLグレーと思っていた愛知県でも長野側からの黒の影響が来ている?

そして、愛知県のどこらへんまで入り込んでいるかを調査するため、山間部から市街地に変わってきた新城市の東新町駅で下車し、調査を行うことにした。

東新町駅の南の墓地を調査。

ALLグレーだった。

久しぶりのALLグレーに、少し嬉しくなった。

やはり、幼少からALLグレーを当たり前としてきたから、何か安心してしまう。

そして、墓設置作業をされていた方に色についてきいてみる。

その方は「ここらじゃあ黒は嫌われるんでグレーですね」「岡崎石が近いしね、黒はめったに無いね」

ALLグレー圏に戻って来た。

しかし、調査は続行する。

東新町駅と新城駅の間の寺を調査。

なんと黒を1基発見。

ただし、新城駅に近い2箇所では、ALLグレーだった。

基本はALLグレー圏なのだろう。

改めて、境をどう設定するか悩む。

新城駅からは、終点の豊橋までの間にある豊川で途中下車する予定だったが、もう体力が残っていない。

そのまま豊橋駅に電車で向かった。

2箇所発見したが、ALLグレーだった。

9.豊橋

中部圏では、長良川鉄道と樽見鉄道そして豊橋鉄道の市内線(チンチン電車)だけが完乗できていない。

そこで、豊橋鉄道に乗って最終駅まで行った。

鰻の店「うなぎの浜名」を発見し、ご褒美にと店に入る。

こじんまりとした店だった。

私が座った隣で、店主が、さばいた鰻に串を入れる仕込みをしている。

厨房では、息子らしい人が、それを焼いている。

これで、おいしくない訳がない。

うな丼(上)1980円を頼んだ。

基本的には、蒸す調理法の関東風が好きだが、目の前で焼いている鰻が、そのまま出される状態だとカリカリでかつ中は柔らかく、焼きもいけるなあと一気に食べてしまった。

店には、持ち帰り有りと書いている。

1580円で食べたのと同じサイズだそうだ。

私はもういいとして、お土産4人分だと6320円かあ。

どうしようかな。

でも、自分だけおいしいもん食べて、好きなことやって、それはどうなんって囁きが頭の中で聞こえる。

あぁ。

豊橋駅に向かうチンチン電車内には、甘い鰻の、においが漂っていた。

10.これから

豊橋駅から帰路につく。

これから、どうしようかなと思う。

だいたいの境は特定できた。

しかし、何故色が変わるという結論は?

スマホで、ネット検索してみる。

長野県内の地域による、墓石の色をのせているサイトがあった。

太田屋HP「墓石に地域色」

帰路で、愛知よりも関西に、少しではあるが黒が存在することを確認する。

○三河大塚駅(愛知県)近く ALLグレー

○西岡崎~安城(愛知県)間の墓地 ALLグレー

○彦根駅(滋賀県)近く 黒4基発見

○安土~能登川(滋賀県)間の墓地 濃いグレーありも黒無し

○能登川~野洲(滋賀県)間の墓地 ALLグレー

○南草津駅付近(滋賀県) 黒1基発見

○西大路駅付近(京都府) 黒2基発見

○山崎~島本間(大阪府)間の墓地 ALLグレー

黒が1とか2とかが多い。

これらは、最近建てられた墓と思われる。

1990年代に墓石が輸入中心になったことで、関西でも黒の選択肢が出来たのではと推測される。

色の地域傾向として、基本はHPのように、産出されていた色を土台とするが、輸入品の増加による個人選択の結果を織り交ぜた結果が、今の墓石色の地域状況と思われる。

そして境に関しては、東新町駅の南の墓地で墓設置作業をされていた方の「ここらじゃあ黒は嫌われるんでグレーですね」というところの「嫌われる」という言葉。

墓を選ぶ人は、黒を「嫌がる」という言葉を使うと思う。

とすると「嫌われる」とは周りからという意味で、グレーでいましょうという意識が根強いということだと思われる。

だから、その後の1箇所、黒を発見しても意識としてはグレー圏という意識なのだと思う。

田立のおじいちゃんは、黒が良いという感じだった。

それは、同時に黒が周りから許容されるということだろう。

きっと、その意識の違いがある場所が境目なのだろう。

だから、関西で1つ2つ見つけても、やっぱりグレー圏なのだと思う。

反対に、黒が近隣墓地でも連続していたら、黒は許容されていて、数は少なくても今後増える可能性は、グレー圏より相当高く益々、黒OK度が高くなると思う。

ただ、根本的には墓石の色を選択出来る時代になっているので、グレー圏でも今後、黒がよく見られ始めると、黒OK圏化していく可能性はあると思う。

一昔前のCMで「職業選択の自由あっは~。じゆう。自由」というのがあった。

それと同じで「墓色選択の自由あっは~。じゆう。自由」だ。

ちなみに、その境は色の状況からすると

◇東海道線は浜松・磐田あたり

◇飯田線は長篠あたり?(HPの南信地方は、白とあり現地調査の上で判断が必要)

◇中央線は中津川あたり

北陸線は泊あたり(電車で確認した。新潟との境にある富山県宮崎地区では黒が有った)

と推定される。

今後の、私個人の活動については、現地調査で立証できる境目の事実や、質量の変化と土地利用などを論文にして行きたいと思う。

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