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いろいろ色の小話5(中部編)

いろいろ色の小話5(中部編)

平成26年4月20日

1.Myキックオフ

平成26年2月、今年の墓色境調査を再開するにあたり、どうしても行きたいところがあった。

それは、自分自身の先祖の墓だ。

「他人様の墓は、いっぱい伺っているのになぁ」という気持ちがあった。

また、私の幼少からの記憶であるALLグレーが、思い込みではないか、確かめる必要がった。

今まで、ここの墓場に来た時と目線が違う。

前までは、墓を漠然と見ていたが、いつ墓が建って、誰が建てたとか、いつ逝ってしまったのか、などが自然に目に入る。

そして、「この調査を、温かく見守って下さい」と心の中で話しかけている。

もし、ご先祖様が空の上にいるなら、墓石色境が分かっていると思うが、 「2年前の探偵ナイトスクープに依頼を送った時のように、お願いしたりはしません。自分の眼で確かめますから・・・」と心の中で話しかけた。

そして、墓地内の黒色墓石が無いか確かめる。

有った。

S44,S45,S46,S47と4つも有った。

科学的に立証するためには客観性が必要であり、漠然と黒は無かったと思うでは駄目だ。

ALLグレーは、思い込みだった。

しかし、4基をどう見るかということもあるが、最近ではないということが、今後の大きなポイントであるように思われた。

昭和四十年代に建てられながら、その後は建っていないのは、当初に思っていた平成になってからは、輸入品で黒の選択が増えたという考えも思い込みだからだ。

もっとサンプルをとって、明らかにしよう。

今年の墓石色調査が始まった。

 

2.教えを授かる

墓参りから1週間後に、立命館大学で打ち合わせがあった。

青山さんから「矢部先生に墓の話をしたら、今日の議題より興味持ちはるんちゃうかな」という言葉が事前にあり、議題を一通り打ち合せた後に、墓石色境の話になった。

矢部先生は地理が専門で、当然、墓は専門ではないので、細かい話にはならなかったが、墓について研究されている先生を教えて頂いた。

その上で調査にあたって、母数の話や実証方法など、さすが痛いところを突かれたなと思った。

母数については、ある程度のサンプル数をとること、実証方法については、石材店のヒアリングなどを提案されたが、現地での事実を、私は時間がかかっても明らかにしたいと思っている旨を伝えた。

帰り道に考えた。

やはり教授は、すごいな。

教えを授かるのは、知識ではなく考え方とか筋道とかかなと。

昨年の調査結果を、どうまとめるか棚上げしたままにして来たが、1つピントきた。

面積をとって、一定の基準にしよう。

小さい墓地と大きい墓地で、同じ1つでも違うだろうというのが、どこか引っかかっていた。

心の重石がとれた。

 

3.昨年の調査結果

昨年の調査結果をデータベース化し集計してみた。

・総調査数 184墓地

・墓地の最寄駅数 52駅

・最寄り駅あたりの平均墓地数 3.5

・1墓地あたりの平均面積 1511㎡

これにより、今後は1500㎡あたりの黒色墓石数を、その墓地の相対黒色墓石数とすることにした。

 

4.現地調査開始

現地調査にあたっては、準備を進化させた。

以前は、地形図の墓か、寺の地図記号のところに行っては探すという、行き当たりばったりだった。

しかし、今年からは事前調査としてYahoo地図の方が、航空写真の解像度がGoogleMapsより高いため、Yahoo地図で各JR駅付近の墓地を調べた。

そしてGoogleMapsにて、各寺や墓地の面積測定・位置特定を行った上で、現地に行くことにした。

降り鉄墓調査に、最強のアイテムである青春18切符、その開始日3月1日から2週間経って、ようやく今年初めての調査は、福井県武生駅からスタートできた。

武生駅9時19分に着いて、10時30分には敦賀・滋賀に戻る計画だ。

武生駅近くでは、1時間足らずで19箇所の墓地を回った。

土地の評価をする際に、墓地から一定の距離内は安くするため補正をする場合があるが、これだけ寺と墓地が密集していると、全てが補正対象だなと考えながら歩く。

しかし、補正と考えるより、墓地や寺と共に街があるというのが正解だろう。

そんな事を考えながら、電車の時間が近づいてきた。

1時間歩いた後に、駅へダッシュで走る。

この後の敦賀駅では、レンタルサイクルで周る予定で、運動オタク?と頭によぎりながら電車に間に合った。

本日の成果は、1500㎡あたり墓地の黒石墓数各駅あたり平均は、武生0.4,南条0,今庄0,敦賀1.5,マキノ0だった。

 

5.対岸と横並び

3月下旬、琵琶湖西側の湖西線各駅を、降りながら調査をしていた。

ある墓地で調査しているときに、ふと滋賀県民の県民性を考えた。

滋賀の仕事先の方に、そういえば近隣の事例はどう?とよく聞かれることがあった。

これには琵琶湖が関係しているのでは、と個人的に考えていた。

琵琶湖を取り囲むように土地が繋がっていて、自然と横の地続きの関係性が、大きくなるのではと思っていた。

そして、高台の墓地から琵琶湖を眺めた。

そこに、答えがあった。

琵琶湖の先に、近江富士と言われる三上山がある。

距離は、そう遠くないが、ここからは対岸の出来事だ。

ここから西側は、京都との境の山が延々と繋がっている。

ここでは南に大津方面か、北に北陸方面かであり、それを繋ぐ地域でもあるのだ。

そういう意味では、T字あるいは十字で交差している所は、文化の交流点であるのは間違いない。

つながりは、墓石色境に、大きな影響があると思っている。

時刻表の路線図を見れば、名古屋の十字、塩尻・直江津・富士のT字など影響がありそうだ。

何かありそうだという直観で、まず動くのが私のスタイルなのだろう。

それを証明するには、客観的なデータを集めるしかない。

そして、どう表現するか。

相手に理解してもらうという事は、容易なことではない。

関西での1500㎡あたり1とか2までのエリア、80とか100とかの関東甲信越、3以上15未満あたりの中部の各エリアでのゾーン設定、そして各ゾーンでの表現の仕方と、ゾーンからゾーンに移る表現など、見てもらいたい所を地図でどう表現するか。

それは、いま仕事でやっている路線価格流れ図に魂を授けることにも繋がる。

やり遂げなければならない。

湖西線の調査が終わり、湖西線では1箇所以外は、1500㎡あたりの黒墓石数は1以下だった。

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(雪解けの川を見ながら駅に向かう)

 

 

6.境といえば関ヶ原

3月に滋賀と岐阜の境県にも調査に行った。

それまでの調査で、関ヶ原近くの岐阜4.6,大垣0.5だった。

まず大垣から1つ西の駅、垂井駅を降りて調査した。

なんとなく関西のグレー中心というより、名古屋から流れてくる、ややありという感じだ。

数字としては1500㎡あたり2.2だった。

やはり、2というのが分かれ目のように思われる。

続く関ヶ原で岐阜県が終わる。

ここには有名な関ヶ原石材があり、その社宅裏や隣に墓地があった。

やはり、黒がややありという感じだった。

関ヶ原石材の工場や石がある倉庫が墓地から見える。

巨大な石材店だから、昔から色々な石があっただろう。

気になったのは、やはり年代だ。

黒の墓は昭和が多い。

次の墓地は、名神高速近くに2つあり、やはり、ややありだった。

やはりというのは、同じ最寄り駅で、黒が1つもない墓地の次に、黒が相当有りは存在しないし、黒が大半のところで、少ししか黒がないという場合を、今までの調査では遭遇していない。

しいて挙げれば愛知・静岡を中心として中部圏では最寄り駅が同じ複数の墓地で、各墓地の黒の数に、ばらつきがあるというのは認められる。

結局、関ヶ原は2.2だった。

米原に向かう電車から墓を確認した。

出発してから山手に墓地があり、黒が存在した。

そして県境に寺と墓地があり、見る限りではALLグレーだった。

それが間違いない、とでも言うように続く柏原0.6,近江長岡1.2,醒ヶ井0だった。

そして米原駅に着いた。

 

7.建之年代

3月下旬に、名古屋から三重の関西本線の調査をすることにした。

米原から名古屋に向かうか、草津で降りて亀山から調査するか、その日に決めることにした。

大阪からの新快速で座れたので、このまま米原から名古屋までの電車でも座れるだろうと踏んで、草津では降りなかった。

そして名古屋駅に着いた。

名古屋から西へ次の駅である八田では5,春田21,蟹江14で愛知最後の永和では18だった。

この18は、永和では1箇所の寺しかなく、245㎡で3基だったため1500㎡あたりだと18になる。

この墓地の黒はS48,S48,S49だった。

他の地域の墓地も含め、昭和40年代に黒が多いという事に対して、本当はグレーを含めた墓全体が、昭和40年に集中し、最近の墓が無いからではないか、という疑念が浮かんだ。

そこで、この墓地の黒以外のグレーのお墓も含めた、全ての墓の年代を調査することにした。

総81基(黒割合4.9%)

平成20年代 0

平成10年代 5

平成0年代   7

昭和60年代 8

昭和50年代 17

昭和40年代 14

昭和30年代 5

昭和20年代 0

昭和10年代 17

昭和0年代   2

明治30年代 1

大正0年代  2

不明    3

この寺に関しては、昭和30年代から、墓が増え始め昭和50年代をピークとして、下がっている。

黒の墓は昭和40年代後半なので、墓が増えると同時に、色の多様性が出てきたと考えられるのだろか。

しかし、その後に黒が選ばれることは、無かったということになる。

そういう面では関西に近いと思われるが、そこは年代の分析をして、改めて解ることかもしれない。

 

8.三重の複合地域性

愛知県から三重県に入った。

長島駅に着いたとき、ここからグレー中心に変わるのではと予想していた。

というのも、事前に関西本線の大阪側から調査をしていて、京都府の大河原0,三重県の島ヶ原0,伊賀上野0.8,佐那具0,新堂0.9,柘植0.5まで来ていたからだ。

ところが長島は5だった。

続く桑名が2.4、そして、伊勢鉄道で津へ南下する線と、亀山に行く分岐駅の河原田では5.9だった。

南下すると少しずつ減って、どこかで0地域になるのか調べたくなったが、まずは関西本線だ。

やはり亀山・関あたりまでは、中部ゾーンで、鈴鹿山脈からグレー中心地域なのかと考えながら、亀山駅に着いた途端に陽が落ちてしまった。

 

9.湯のまち諏訪

4月に入り、3日間まるごと調査する機会を得た。

そこで、中央線の調査は上諏訪から始めることにした。

このあたりで宿泊する時はいつも、民宿すわ湖に泊まる。

民宿といっても、昔からの味がある旅館のような建物で、なんといっても露天風呂が個室風で、夜と朝にいつも入っている。

朝風呂を終えて、1つ目の寺に向かった。

今回から新アイテムを登場させる。

それは調査票で、昭和40年から平成25年までの各年を縦に、各墓地を横にした表で、年毎に、黒が一つ一つと正という字になっては、また追加して行く。

今まではS47などと、そのままメモしていた。

黒が少ないとそれでも良いが、黒が100を超えると、現地で年代を取得するのは、集中力が必要となり、負担を出来るだけ軽減するために考え出した。

上諏訪の1つ目のお寺では、予想通りの黒の多さで、2722㎡に対し黒が142基あった。

1500㎡あたりだと、78基で直江津の111基、三島の101基と糸魚川静岡構造線以東では、やはり100前後の高い傾向を示している。

1つ目で1時間を費やした。

この感じだと、塩尻・松本も黒が急激に少なくなるのは、想定出来ないなぁ。

天気も下り坂で何時、降り出すか分からないので、松本への降り鉄墓石色調査は止めて、名古屋方向の木曽に向かうことにした。

進む電車の中、塩尻あたりの車窓から見る墓地には、黒が8割程度の感じがした。

ここらは完全に黒中心地域、しかも相当黒濃度が高いと思われた。

 

10.黒密度測定

塩尻駅から1つ名古屋側の洗馬駅で下車し、近くの萬福寺裏の墓地に向かった。

墓地を見て、一言つぶやき、にやっと笑った「ほぼ黒やん」。

そして、黒の調査を始めるが、こんなにグレーが少ないのだったら、グレーも一緒に調査しようと思い立ち、グレーも一緒に調査することにした。

面積1121㎡ 総墓数157基 黒色119基 グレー基37基 ピンク基1

※総墓数に明治より前は含めない

黒色の割合  75.7%

グレーの割合 23.5%

ピンクの割合 0.7%

そして年代毎に集計してみた。

黒色の墓石                          グレーの墓石

~S39    19基       ~S39   26基

S40~S63  54基(2.8倍)   S40~S63   6基(0.23倍)

H1~H25  46基(0.85倍)   H1~H25  5基(0.83倍)

S40~S63からH1~H25への増加は、ほぼ同じなのに~S39SからS40~S63に大きな差が出ている。

しかも、~S39時点ではグレーの方が多かったのに・・・しかし、~S39時点で黒の割合も関西などに比べれば高かった訳で、S39頃である程度の黒が有ったのが、黒中心地域の要素かもしれない。

 

11.いつまでも輝きを

洗馬では2箇所の墓地をまわったが、圧倒される黒の数に、時間がかかり電車に間に合わなかった。

しかも2時間に1本ほどしか電車が無いので、どうしようかと考ながら歩いていた。

そこへコミバスの停留所があり、時刻表を確かめると、あと20分ほどで来るようだ。

そしてコミバスが来て、運転手に確認すると、次の贄川駅から徒歩で行く予定の、観音寺の前で停まるという。

なんて有り難い事だと、バスに乗り込む。

バスには地元の人らしい方が、多く乗られていた。

塩尻から奈良井まで市町村合併により、広域になったため相当広範囲をカバーしているようだ。

しかも100円なので、バス乗継ぎ旅もいいなと考えていたら、それらしい方を発見。

中山道マップを片手に、景色を眺めている御年80代ぐらいの方がいた。

ステッキを持ちながら、旅をしているようだ。

びっくりしたのが、その眼である。

中山道の今と昔を、地図と景色を比較しながら見ているのだろう。

真剣な眼差しで、あっちこっち視線を移動させている。

知的好奇心に歳なんて関係ないと思った。

自分は80代まで生きているか分らないが、輝きだけは、いつまでも持ちたいと思った。

 

12.心が折れそうに

観音寺では2521㎡で黒が130基だった。(1500㎡あたり77)

続く木曽平沢もコミバスで向かい、ちょうど墓地の前で降りることが出来た。

墓地に入ったとたん、心が折れそうになった。

広く、そして黒が多い・・・。

といっても、ここまで調査してきたのだから、調べない訳にはいかない。

結局、7113㎡で264基の年代を取得した。

(1500㎡あたり55)

この後どうするか考えた。

次の奈良井、木曽の中間地である木曽福島も、おそらく黒が多いだろう。

だが岐阜まで行くと、確実にこれほどまでの黒ではない。

とすると下降点は、南木曽駅だろうなと、南木曽を本日の最終ポイントに決めた。

南木曽では3ケ所の墓地を調査し、1500㎡あたり6.0という結果だった。

この数値であれば、中間地帯を思わせる中部の、やや黒ありで間違いなさそうだ。

 

13.安くても幸せ

宿は、岐阜県の土岐で泊まることにした。

土岐のホテルが3200円と安かったことと、明日は木曽に戻るか、東海道に移るか、天気により方向を決めるのに、中間点なので都合が良いからだ。

スーパで、半額の惣菜と酒を買って宿に入る。

風呂の浴槽が、足を伸ばせるほど大きい。

また、部屋が10帖ほどある。

団体用の部屋?でも、ホテルは雑居ビルを改装した感じの、「昔は客がいたんだがね」という感じで、宿泊者があまり居るように感じられない。

でも、幸せを感じた。

フェラーリ買って幸せと思う人からしたら、こんなところ絶対に泊まらんと言うだろう。

でも私には、3200円で泊まれて、自分のやりたことをやれたら、それで満足なのです。

などと勝手に妄想しながら、酒を口にしていた。

 

14.田立のじいちゃん

次の日は、雨だった。

天気予報では、名古屋に近いほど曇りということで、ある場所を行ってから、名古屋に向かうことにした。

ある場所とは、長野県から岐阜県に入った坂下駅にある14915㎡の墓地だ。

前に、坂下駅から1つ木曽よりの田立駅で話したおじいちゃんの「黒が全く無いという感じではないでのう」と言ったのが引っかかっていた。

南木曽の6.0から言って、あのおじいちゃんの言っていた事は本当なのだろう。

岐阜に入っても、グレー中心地域ではないというのを確かめたかった。

雨の中、坂下駅に着いた。

駅から墓地まで歩き、墓地の入口を発見。

「墓地は山の斜面か」と、つぶやき、肩を落とす。

木曽路の調査では山間部の為、山の斜面が多い。

山の斜面だと、傾斜がきつく大変である上に、通路が殆ど無い。

通常の墓地なら、メイン通りの道から、細くても通路が繋がっているが、木曽では、その通路が墓の敷地で塞がり、殆ど無い。

墓の敷地は、隣との間に石を埋め込んであり、通路が無い状態で、また、その境の石で靴が滑りやすく、通行するには、非常に危険だった。

そして、雨だったので、紙の調査票には記入せず、スマホのメモに年代を記録していった。

89基、1500㎡あたりだと8.6という結果だった。

 

15.岐阜を調べる

調査を終え、坂下駅で次はどうするか考える。

雨がまだ降っているため、木曽に行くのはためらいがあり、岐阜で調査することにした。

岐阜の恵那に奥さんの実家がある知り合いは、「恵那はグレー中心で、黒は殆ど無かったと思いますよ」という話を聞いたことがあり、岐阜のどこら辺かに境があるでは、と気になったからだった。

そして、恵那での調査は3ケ所で1500㎡あたり2.5だった。

微妙な数値・・・

その後、恵那から名古屋方面に向けて、各駅を降りて行く。

武並1.9,釜戸1.1,瑞浪1.3,土岐2.4だった。

そして、昨日と同じ宿に泊まった。

昨日は幸せを感じたけど、今日は、名古屋のホテルに泊まりたかったなあ(もうちょっと綺麗ところへ・・・)と思ったりもする。

だが、明日は天気も良さそうなので、長野県に近い土岐に泊まり、再調査しようと思う。

 

16.再び長野県へ

次の日、天気はすっかり快晴だった。

長野県に入り、木曽路の中間地点である木曽福島の1つ前の駅、上松駅で降りる。

ここにある墓地は一昨日、電車から黒が多数なのを確認していた。

予想通り、いや、予想をはるかに上回る黒、黒、黒だった。

一昨日、黒の圧倒的多数の調査をして、どれくらいの数があるかイメージ出来るようになった。

「1000はあるな」

と心の中で叫んだ。

1500㎡あたりで100超えは間違いないから13602㎡あるから、やはり1000近くはあると推定できる。

年代まで取っていたら、日が暮れるな。

「とりあえず一旦引こう。」下り電車があと数分で来る。

この電車を逃したら、1時間は、上下とも電車が来ない。

走りに走った。

間に合った。

そして、ここも黒中心なら、どこかで落ちていく箇所があるはずだと考えた。

すでに、南木曽では6.0まで落ちている。

そこで、南木曽駅と上松駅の間の駅を、調べることにした。

須原69.3,野尻21.3,(南木曽6.0),(坂下8.6),落合川6.9,中津川2.7,(恵那2.5)と続いた。

 

17.中部の境界とは?

12時半に落合川駅を降りて、徒歩で出発し、中津川駅に17時間前に着くまで4時間半ほど、ぶっ通しで歩いた。

かなり遠回りしながら、墓地を目指して1駅区間歩いた。

今回の中央線の調査で、岐阜県は駅から墓が遠いところが多く、自家用車の出番かと考えていたが、境目が知りたい好奇心が強くなり、何時間歩いても平気になってしまった。

今後についても、車を使用せずに、降り鉄で頑張ろうと思う。

帰りの電車の中で、調査した墓地が見えると、ああここはこうだったなぁと思い出しながら、時刻表の路線図に書いた駅ごとの1500㎡あたりの黒色墓色数を見つめる。

北陸から関西にかけては、たまに黒が存在する「グレー中心地域」、関東甲信越は「黒中心地域」そして、関西ほど黒が稀ではないが、少数存在する中部に分かれると思われる。

墓石色調査における中部は、関ヶ原・鈴鹿を西の境とし、北陸は入らず、木曽路は南木曽付近、東海道は焼津あたりと考えられる。

墓石色調査が全て終われば、確実に言い切れるのだが・・・しかし、なんとなく中部を連想する範囲のイメージに近いように思われる。

関西・北陸と関東甲信越では、明らかな違いは見受けられるが、墓石の色の違いについて、中部を関西・北陸に含めるのは、やや抵抗を感じる。

今後は、年代からの分析などを含め、地域区分について、検討していきたいと思う。

現在の総調査墓地数 371

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