いろいろ色の小話6(遠回り編)
平成27年1月28日
1.徳川家の墓色
平成26年6月下旬の早朝、日暮里駅に向かった。
墓石色の境目を中部あたりで探っているが、本当に関東では、黒主体なのか確認するため、東京の墓地で最大規模を誇る谷中霊園で確認するためだった。
日暮里駅を降りて、霊園に向かうと、なんと天王寺という寺があった。
関西では駅の名前でもあり、聖徳太子建立の寺として誰もが知っている寺である。
その天王寺を過ぎると谷中霊園があった。
霊園だが、ジョギングや散歩を楽しんでいる人がいることに不思議な感じを受けた。
谷中霊園では、長野のような殆どが黒という程ではないが黒が多い。
変色した、明らかに古い墓も多く、黒っぽい感がある。
昭和より前の黒となると、今までの調査では珍しいといえる。
変色した墓は、薄いグレーがかかったり、黄土色になったりしていることが多く、谷中でのすすんだ黒は珍しく思えた。
その、すすんだ黒が、徳川家の墓でも同じくだった。
すすんだ色は、墓により微妙に色を変えながら存在している。
規模は大きいのだが、あの徳川家からすると、威厳が少し劣るような気がした。
それは統一感かもしれない。
ひょっとすると、地域的な白黒の選択にあたり、関西での白御影の統一感と比べて、関東での白黒がランダムに存在する不一致感は、このあたりから許容されているのかと考えた。
少なくとも、昭和になってからの黒御影という、黒の選択に影響を与えたのは、間違いないと思った。
2.天国から地獄
東京に来た本当の目的は、会社の斎藤さんに、仕事での研究相談と墓石色境についてアドバイスをもらうためだった。
楽しみな気持ちで、打ち合わせが始まった。
しかし、仕事での研究については、良いアドバイスがもらえたが、墓については、各墓地で黒の数しか取得していないこと、つまり全体数が分からないことや、駅から最低1km程度の墓地としたことは、サンプルの取り方として偏りがあると言われ、調査方法に問題があると指摘されてしまった。
帰り道では、途方に暮れてしまい何も考えられなかった。
予定では、名古屋に泊まり、亀山近辺で現地調査する予定だったが、放心状態で新幹線に乗り込み名古屋を通過し、家に帰った。
3.夢中を探して
その後、墓色調査のフィールドワークには、ふれない日々が流れた。
夢中になって墓を巡ることを取り上げられ、落胆の日々が続いた。
仕事で辛いことが有っても、来週は東海道線のあの区間の色境を調査できるんだ、と考えるだけで心が安定する。
それぐらい自分の日常に溶け込んだことに、ぽっかりと穴が開いてしまい、いつしか何とかしないといけないと考え出した。
思うに、日本国内全鉄道の完乗も、同じことだったのかもしれない。
14年を要して走破しが、走破した後にぽっかり出来た空虚感を、このフィールドワークが埋めてくれた。
目標に向かって行動している時が、本当に楽しい時だったと、しみじみ思う。
地価についての探求も19歳当時のバブルでの何故から始まって、自分なりの完成にもうすぐのとこまで来ている。
今は、たぶん人生の折り返しに来ていて、これからの人生で柱となる夢中になれることが、必要だと思い始めた。
そこで、降り鉄とフェリー走破について実験してみようと考えた。
降り鉄については、墓石色調査で東海道本線は、ほとんどの駅を降りている。
そして、埋まっていないピースを埋めるように、墓降り鉄をしていない静岡県にある愛野駅に降りる。
夏には花火大会があったり、サッカー場があったりするようだ。
本家降り鉄の人は、降りてから、どういう行動をするのだろう。
自分の顔が入った駅名で撮影するというのは聞いた事があるが、それだけなのだろうか。
やはり街歩きとか、発見がないと楽しくないなと思った。
単に降り鉄として駅を降りてみると、墓降り鉄や乗り鉄と何か違う。
目的か!
そう、乗り鉄では、そこに行くという目的が、墓降り鉄では、その墓地に行くという目的があった。
そして、その合間で車窓を眺めたり、街を歩いて発見があったりと、二次的な楽しみが旅を盛り上げてくれた。
単なる降り鉄だと、降りる数をかせぐため、街歩きがおっくうになってしまう。
それでは、私は、駄目なのだと理解できた瞬間に、次の降り鉄予定駅を素通りして、家に向かった。
4.墓石色調査を再開
フェリーも試みた。
夏の青春18切符で岡山県の日生に行き、離島を結ぶフェリーに乗船してみるというもので、日帰りで青山さんを誘って実行した。
フェリーというより小型艇といった感じの船で、乗客は離島の自宅に戻る風の人ばかりで、生活の足であるのを感じる。
その人達には、普段の風景だが、旅人には特別な光景というのが、旅に来たと実感できることだと思う。
離島を歩き、いつもと違う刺激があり、旅に来たと思える。
だが、何かが、違う。
求めているものが、違う。
離島もフェリーも、しっくりこない。
やはり私は、旅と鉄道なのだな。
そして、もう一つの悩みである墓色調査について、帰りに姫路おでんを食べながら地酒を飲み、青木さんに行き詰まりを話していた。
帰りの電車の中で、青山さんから「墓の色の境を武田さんは、それがベストと考えてやっていはる。それでええんちゃいますかね。そのやり方でも認めてくれるような、違う学会を探せばいい訳で」
そう言ってもらえたおかげで、すっきりした。
誰かのために、境目を知りたんじゃなくて、自分のために知りたい、それだけになってもいいやんかと
次の週末に、亀山へどう向かうか考え始めた。
夢中になることは、楽しい。
5.遠回り
9月7日に墓調査を再開し、青春18切符で亀山へと向かう。
草津線から関西本線に入り加太(かぶと)駅で降りて、すぐに近くの寺に向かい、黒はほぼ無かった。
これから、鈴鹿山脈を越えて中部圏に入る。
本線と名の付く線は、電車本数や乗降者も多いが、ここ関西本線は「昔そうだったのだが」と名前にのみ残すようにして、静かでのんびりとした風情を漂わせている。
風景を楽しんでいると、1両のみの列車が来た。
関西から三重県に入った伊賀では、グレー中心であることを確認している。
鈴鹿山脈を超えた関駅で調査を始めた。
結果はグレー中心だった。
そして亀山駅の近辺を調査し始めた。
亀山という街は、相当に起伏が激しく、地図で見るより移動時間がかかり、汗も多く出ている気がする。
数か所の墓地をまわったところで、ある寺の墓地に着いた。
いつものように、一礼をして墓地に入る。
黒は無いかと探していると、ある家族が墓参りに来ていた。
それが黒色だったため、それとなく近づき年代を確認しようとした。
建之は墓石の後ろが多いことから、墓参りしている家族の向かいに近づき平成26年と確認した。
ええっ
三十代ぐらいのお母さんと中学一年ぐらいのお姉ちゃん、小学校高学年ぐらいのお兄ちゃん、小学校低学年ぐらいの末っ子がいて、墓の後ろに二人の名前が刻まれている。
ということは、おとうちゃんが亡くなったって事か?お母ちゃんの雰囲気からすると間違いない。
墓を出たあと、涙がぽろぽろと出てきた。
お父ちゃん、さぞ無念やっただろう。
まだ、子供の成長を見たかっただろう。
お母ちゃんと一緒に相談しながら、家庭を作って行きたかっただろう。
自分は、成人式を迎えた長女がいて、末っ子も十五歳で、もう自分がいなくても大丈夫だと思える歳まで来ている。
今の自分は恵まれている。
普段は全く意識しないが、家族が健康で、仕事内容に大きな不満は無く、乗り鉄、墓降り鉄と好きなことが出来ていて、ちゃんと生きている。
墓地に居て、たまに思うことがある。
無言の無数の墓に眠る人達は、墓の色境がどこかわかるのだろうか。
でも、あの世でわかっても、今生きている時には知ることは出来ない。
今知りたかったら、生きて調べるしかないと。
そして、何百もの墓地へ車を使わずに、ひたすら歩いた。
どこまで歩いても故障しない。
それどころか最近、健康であると思う。
人間って可能性があるのだと。
生きてこそ、そして今の自分の環境に感謝をすることを
あのとき東京から亀山に入っていたら、ただの平成26年の黒い墓だった。
ここに来るまで遠回りになったけど、益々境目を探求しようという気持ちになれたし、自分のいまの環境への感謝の気持ちが芽生えた。
遠回りすることは、決して無駄なことではない。
それは、乗り鉄の時にも感じたことだ。
電車に1本乗り遅れて、待ち時間でぶらぶら歩いていたら、幼稚園の運動会をやっていて、ほのぼのした気分になれたり、時間が無いので違うルートに変えたら、結構そっちのほうが良かったって思えたりすることがある。
ある程度の計画と、臨機応変な計画変更が旅の楽しみだと私は思う。
なので、たまにフリー切符の電車旅だと、分岐駅でその場でどちらにするか選択肢を設けるときがある。
仕事だと、なかなか自分の思い通りに選択が出来ないが、旅という趣味では、自分のその時の気持ちのままに選択できるのが醍醐味だ。
結果は、目的駅は同じであることが多く、経過をいかに楽しむかが大事で、遠回りするほど想定外という楽しみが増える。
といったことに、思いふけりながら、次の墓地に到着し、亀山での墓調査をグレー中心という結果で終えた。
6.大阪再発見
9月は、近場の墓を週末になっては調査し続けた。
高槻駅、吹田駅、東淀川駅といつも通る駅だが、墓場へ向かう道となると違う景色を見ることが出来た。
高槻では、駅から数分歩くと神社裏に野道があり、竹藪の中を歩いた。
東淀川では、西中島南方という、方向感覚が麻痺しそうな地名の由来となった、中島神社を発見と、まるで地元の人しか知らない秘密を探検しているようだった。
きわめつきは、大阪の寺町だった。
玉造から天王寺にかけて、百を超える寺が存在する。
これは1日で100墓地行けるかもしれないと、自分に変な暗示をかけてしまった。
通常の調査であれば、降りる駅は7ぐらいが限界で、1駅あたりは3から4墓地なので25ぐらいしか調査できない。
それが4倍の100か。
挑戦心に火がついた。
そして調査当日、9時に玉造駅を降りて、まずは上本町までの上町筋と谷町筋あたりの40程度を午前の目標とした。
大阪市内では殆ど坂が無いが、このあたりはアップダウンがある道が多い。
大阪に住みながら、初めて上町断層を体感する。
やや坂道で体力を消耗しながらも、順調に調査が進んでいた。
それは1箇所終わると、斜め向かいに次の寺が待っているという状況で、しかも殆どがAG(オールグレーの書き込み略称)だった。
午前中に目標の40箇所の調査を終え、このペースだと100は超えるなと、その時は簡単に考えていた。
昼食をとり、上本町から四天王寺にかけての松屋町筋と谷町筋の寺集積地帯に向かう。
谷町筋あたりでは順調だったが、松屋町筋へは急な坂になっており、その斜面を墓地とする寺が松屋町筋に張り付いて、これには参った。
寺ごとに登り下りをする連続だったからだ。
それでも暗くなるまで歩き、1日で105墓地調査という記録?を叩き出した。
7.GISにて問う
それ以降も調査を重ねたが、1つの大きなイベントに向けて資料の整理を行っていた。
今まで調査したデータから、どこで色の境を区分するのか、東海道線でグラフを作ってみた。
三島あたりでは確実に黒が多いが、浜松あたりでは僅かであり、静岡県の東西で墓の色が違うという風説を実証できたとも言える。
しかし、境はどこかというと、確実にここだという決め手がない。
また、段々黒密度が低くなっている中で、部分的に高かったり低かったりしている場合は、どう見るのかにより境目が変わってくる。
そこで11月上旬のGIS学会で黒墓分布グラフと、別途研究している3D路線価図とともに持ち込み教授に聞くことにした。
愛知県にある中部大学で2014年のGIS学会が開催されていた。
色々な教授に黒墓分布グラフを見て頂き、境目についての手法を伺った。
セグメンテーション、クラスター、自然分類と出てきたが、一番多かったのが自然分類だった。
自然分類は、仕事で使うソフトのArcGisに付いているが、あまり気にしていなかった。
自然分類について、ネットで調べてみる。
検索すると、働いている会社が用語集として出ている。
う~ん、求めているものは、近くにあったのかもと思いながら、読み上げると「データの変化量が比較的多いところに閾値が設定される方法です。英語ではNaturalbreaksと言われ、breakpointすなわち、段差点で区切る方法です。」まずはやってみよう!
8.区分の客観性
探偵ナイトスクープの、あほばかマップで境目を調べた結果「たわけ」が存在したように、墓の色にも中間層が存在すると私は思う。
あくまでグレーが殆どですよという関西、黒が目立つ関東、そして殆どグレーだけど関西のように黒が、たまにではなく、ぼちぼち有りますよという中部、というのが現場調査での感覚だ。
これを、どう地図で分けるのか。
自然分類は、何分類するか数値を入れれば、一定の公式により区分される。
2だと大味な感がある。
3だと中部がやや薄い感がある。
結局、7が一番しっくり来た。
相当に高い層が有って、高い中で中間に向かう層、同じく相当に低い層があって、低い中で中間に向かう層、そして中間層から低いに向かうやや低い中間層と、やや高い中間層、これで7になる。
これをさらに高い層、中間層、低い層に統合すると、現場調査で感じたここらが境目かなという感覚にほぼ合致していた。
9.千超えを
7区分に色分けした地図を見ていると、黒が相当に高い層のサンプル数が、少ないという事に気付いた。
相当に黒が多い地域に入ってから、数駅は同一傾向だという確証が欲しい。
そこで北陸本線は、直江津駅から北越急行ほくほく線で分岐する犀潟まで、中央本線は東京方面・松本方面との分岐となる塩尻まで、静岡県下の東海道線は、県内全域でサンプルがとれる熱海駅までとした。
それで950弱の墓地となる。
ここまで来たら、千を超えたい。
しかし、闇雲に調査範囲を加えると、一貫性が無くなる。
そこで近畿(大阪・京都・奈良)から東に向かう主要3街道についての調査として、近畿の南北路線区である奈良線・おおさか東線を加え千を超えることとした。
10.ひたすら数える
その後、墓石色調査最大のフィールドワークに出た。
中央本線で中津川から塩尻まで調査をして、松本・長野経由で、直江津から犀潟まで調査した。
印象に残ったのは、中央本線の塩尻付近の黒割合の高さは相当なもので、グレーが数個で、ほぼ全て黒という墓地があったことが印象深かった。
また、直江津付近では、昔の墓を新しい墓に変えたという表記が多く、昔の墓が少なかったことなどが気になった。
その後、直江津から北越急行ほくほく線で東京に入り、上野のカプセルホテルに泊まり、次の日に朝5時過ぎの東京発熱海行きの電車に乗り込んだ。
三連休初日の1日で調査を終える予定だったが、静岡東部の黒割合が多く、調査は難航し、もう1日、もう1日と延長し結局、三連休はずっと静岡東部の墓地をまわっていた。
11.動機
12月に入り、20近くの寺が存在する京都の東福寺駅付近を調査していた。
ちょうど紅葉時期で、多くの人が東福寺へ向かっていた。
私も、その群衆の中にいたが、寺があるたびに、その中に入って墓地を調査していた。
12月に入り相当寒かったので片手は手袋、片手には調査票入りファイルを持って一人で歩く姿は、観光客の中では違和感があったのだろう。
ある寺の墓地に入った瞬間、後ろから、スーツにコートを羽織った50代ぐらいの、きりっとした男性が「何をされているのですか」と問いかけてきた。
私は「墓の色調査をしています」と答えた。
「何のために?」…この問いかけが一番返答しにくい。
「関東は黒が多く、関西はグレーが多いので、境目を調べています。」と答えると「何のために?」とまた聞いてくる。
というかあなた誰?
と思いながら「地域区分の分析に役立てるため、研究しています」と答えると
「何か、お仕事で?」
最終的には繋がるのだが、説明していると日が暮れるので
「地図作成の会社に勤めています。個人的に調査をしています。」と答えた。
すると、その男性は、怖い顔をやや緩めて
「墓販売業者かと思いました。私、このあたりの墓地の専属石材店でして、他社さんが、調査に来られたのかと勘違いしました。」
そうか、石材店だったのか。
今度は、こちらから質問を投げかけた
「関西ではグレーが多く、たまに黒が有りますが、黒は、どういう方が買われるのですか?」
「そうですね、このあたりは基本グレーですね。
黒を買われる方は、ゴージャスを求められるというか」
この言い回しは、京都的だなと思った。
夏に四天王寺で、墓調査を行った際と比較して、そう思えた。
四天王寺の中で最近の墓地があり、黒が自由選択的に存在しているように思える墓地だった。
そして、プレハブに墓石販売の方がいたので、黒を選ばれる方の傾向を聞いた。
店員は「派手好きといいますか、目立つのが好きな方ですね。」
やはり関西では、黒を選ぶのは、相当勇気がいることであり、黒を選べるとしたら、墓地が昔から存在といった感じでないことと、本人の強い意志が選択条件であると思えた。
我に返り、京都の石材店さんに、もっと話を聞こうとしたら、お客さんが待っていますのでと去って行った。
声をかけられた時は、私が怖々した感じだったが、最後は逆転していたなと笑ってしまった。
次の墓地に移動する際、ネットで見た墓マイラ‐の方のサイトを思い出した。
歴史上の有名人の墓を3千以上まわられたというもので、日本の昔の武将の墓が写真で多く見ることが出来た。
昔の武将の墓はグレーが多く、黒が少ない。
だが、最近の著名人の墓では、地域により黒も見られる。
また、世界の偉人では、色の選択は自由選択のようなランダムさを感じた。
そこで、最近の日本での墓石色を選択する要素をこう考えた。
- 輸入が増える前の、その地域の墓石流通の産地
- その地域の新しいものへの許容性
- 個人の嗜好
12.あの場所へ
最後の墓地調査の駅は亀山駅にした。
1km以内で、調査が漏れていた墓地が有った為と、あの家族の墓参りは、旦那さんだったのか確認するためだった。
最後の調査地点に向かうにあたり、亀山駅を降りて素直なルートで行くと大変なアップダウンがあるので、国道沿いの大型店舗の3階から、人のみ通行可能な橋を通って行くことにした。
未調査の最後の寺を出て、靴が浸水しだした。
JRを走破したときのように、終わった感動は少なかった。
それより寒い。
時計を見た。
電車の時間までは、あまり余裕が無い。
しかし、あの墓地に足が向いていた。
墓地に着き、墓誌で33歳にて亡くなったことを確認した。
また涙が出てきた。
墓参りに来ていた家族のことを思い出す。
寂しくもあるが子供がいるから強くというお母さん、優しそうなお姉ちゃん、バケツを振りながらとぼけた顔をした末っ子と、注意するお兄ちゃん。
俺には、末っ子の気持ちがよく解る。
あのとぼけた顔と裏腹にすごく悲しんでいて、兄弟の序列上そういう態度でしか表せないことを
まるで40年ほど前の自分を見ているようだからだ
ずっと父の死にも何か意味があるのではと、問いて生きてきた。
死を美化する訳ではない。
だが、それがために精一杯生きようという気持ちは、人より少し強いと思う。
それが乗り鉄、墓石の色境調査か?(笑)
手を合わせる。
無念だったでしょう。
ですが、子供達はきっとお父さんの分まで大切に生きますよ。
ご冥福をお祈りいたします。
この墓地ではグレーが数基で、亀山全体でもグレーが殆どであり、黒への許容性が高いようには思えない。
ということは、嗜好での差と思われるが、このご家族が目立ちたがりとは思えない。
これは勝手な私の思いだが、生きた証として残された者が、胸に刻んで生きてという強い意志からではないかと。
フィールドワーク最後の墓地を出た。
地域区分における客観的データが欲しく(地価は直ぐ変わる。また人によって変わる。しかし墓石の色は、絶対そこにあり半普遍。)、かつ自分の眼で確認するためにここまで、やってきた。
次は机上で
そして、また次の夢中を探そう。
目星は付けてある。
2014年12月20日、1003墓地で墓石色境のフィールドワークが終了した。