いろいろ色の小話7(道程編)
平成27年12月30日
1.宮脇俊三先生
2014年(平成26年)12月に1003の墓地調査が終わり、黒の墓数の多さに、たじろいた上松駅の墓地を調査して、1004の墓地のサンプルが集まった。
この墓石色調査結果を、どう扱うか見当がつかないまま時間が過ぎ、翌年の翌年の夏を迎えていた。
また、新たな趣味についても、やはり鉄道というか、車窓に絡めた何かを求めて、心がさまよっていた。
今年に入り、図書館で宮脇俊三さんの終着駅という本を借りた。
宮脇俊三さんへ私を結びつけたのは、青春18切符の旅だった。
数年前、青春18切符が余っていたので、日帰りで、尾道ラーメンでも食べに行こうと新快速に乗り、姫路で岡山行きに乗ろうとしたが、団塊の青春18切符ご一行様と混雑した電車に乗るのが嫌で、少し時間を潰そうと思ったところに、姫路でJR全線走破をされた宮脇俊三さんの鉄道紀行展をやっている事を知り、これは何かの縁だと会場行きのバスに乗り込んだ。
それが、初めての出会いだった。
切符の収集や、一筆書きなどの資料があったが、その時は、同じ趣味の人がいるという程度にしか思っていなかった。
そして日が経ち、JR全線走破が終わり、私鉄も終わってしまった。
ぽっかりと穴が開いてしまい、フェリーなど新たな趣味を模索したが、駄目だった。
そこまで行き詰って、宮脇俊三さんはJR全線走破を終えてから、何を考え、どういう行動をとったのだろうと思うようになった。
そこで、今年になって、宮脇俊三さんの本を読もうと思い立った。
時刻表・地図・旅行・人文地理・歴史といった方面に興味があるが、鉄道のメカニズムについては、まったくといってよいほど弱いと書いてあった。
私も全く同じです、宮脇俊三先生。
また、興味のところでは、墓石色調査にもそれらの要素が絡まっている。
やはり、このあたりを今後も求めて行くのだろうなと思った。
電車に乗っていて暇やし、何が楽しいのと聞かれることがある。
しかし、私にとっては、その時間が乗り鉄になって一番楽しく、落ち着き、やみつきの時間である。
何故なら、創造力をはたらかせる時だからだ。
見知らぬ景色を見て、違う方言で周りがしゃべっている。
そのような異空間で、違った発想が自然と出てくる。
研究・開発の新しいロジックが生まれ、新たな試みへの発想も出てくる。
そう、自分の既成概念を打破し、心が開ける気がする。
墓石色調査に、のめりこんだのも、同じ原理だと思う。
西から順に駅を降りて、墓石の色を調査する。
たぶん、これくらいの黒の量だと自分で感じながら墓地に入り、やっぱりそれぐらいだったとか、ここはちょっと違うなという事実を叩きつけられる。
そして、どう捉えるかを考える。
自分では、対応できない刺激を求めているのかもしれない。
そういう人間は、少ないのだろうか。
2.終わりから始まる優しさ
それは2015年7月、台風が接近している日の出張帰りだった。
東京駅では、駅弁屋祭りという店で駅弁を買った。
三連休前の金曜日とあって、通勤列車以上の混み具合だった。
日本各地の駅弁が集まり、日本各地の人が集まっている。
私のJR全線走破の時には、4つの掟があった。
- 未乗車区間では、風景を眺めることに徹して、寝ない。
- 未乗車区間では、夜の列車には乗らない。
- 昼食は、出来るだけ、その土地の店で食べる。
- 夜は、居酒屋か、その地域のスーパーで地のものを食べる。
駅弁の中には、その土地の味付けというより、観光客の受け狙いの弁当もあり、だいたい避けていた。
しかし、今日は駅弁屋の賑わいに押されて、日本酒とともに海鮮弁当を買ってしまった。
満員の新幹線の中で、イクラやホタテをつつきながら日本酒を頂く。
カニみそを、少しつけたカニ身が絶品だ。
日本酒が進む。
周りを見ると、殆どの人が駅弁を食べている。
その光景に微笑む。
そして、駅弁も悪くないなと。
1つの目標を達成した時、今まで抑えていたものに対して、優しくなれるのかなと思った。
3.助けられて再開
優しくなるためには、いや、次のステップに進むためには、墓石色調査を納得する形で、終わらせなければならない。
しかし、もう自分の力だけでは、調査した結果をどう整理すれば良いか、見当がつかないままに日が過ぎた。
そこへ、前に墓セミナーで発表していた岡(仮名)さんから、7月下旬にメールが届いた。
青山さんがフェイスブックのつながりで、墓石色境の発表について、話をしてもらっていたのだった。
12月5日に、京都民俗学会で報告発表はどうですかというものだった。
すぐさま大丈夫ですというメールを送り、主催者の土居先生に自己紹介のメールをした。
【送信メール本文】
私は、乗り鉄でして、JR・私鉄の全国走破を成し遂げた時に車窓の風景を思い出して、西にグレーの墓が多く、東に黒の墓が多く静岡・富山あたりが境だったような記憶をおもい出しました。
また、3年ほど川越で住んだことがあるのですが、墓地を見たときに怖かったのです。
関西では、ほぼグレーで統一された墓地が多く、不規則に黒が混じった墓地が想定外だったからです。
境を見てみたい。
ナイトスクープに依頼しましたが、採用されずで、もうこれは自分でやるしかない!
そこから、墓石の色を調査する日々が始まりました。
最初は車窓から確認していたのですが、きっちり根拠をと思い、大阪を電車で発車して、駅から1km以内の墓地は全て調査することにしました。
黒が殆どという地域に辿り付くまで、墓地を下調べしては、現地調査をしました。
そして、境目を、どう客観的に出すかを考えました。
その手法として、自然分類を使うことにしました。
自然分類とは、「データの変化量が比較的大きいところに閾値が設定される方法」です。
2という区分でなく3区分としたのは、どちらつかず、いいいえどちらも見えていて、いいとこ取りする中間地帯が存在すると現地調査で体感したからです。
うどん、きしめん、そばの文化に、アホ、タワケ、バカの文化圏。
しかし、墓石の色境は、ある程度見えて来たのですが、何故ということに対しては、何ら答えることは出来ていません。
そこで、今後の研究としましては、黒色の選択を、数式化できないかと考えています。
墓地の色縛り × 地域の色同質性 × 黒色墓石の購入しやすさ × 個性
・個性(目立ちたい、郷里の色を尊重etc)は計れませんが、
・墓地の色縛りは寺にヒアリングできますし、グレー縛りでしたら0で連乗結果も0(黒はあり得ない)になります。
・黒色墓石の購入しやすさも石材店にヒアリングできます。
・地域の色同質性は、調査結果から係数化出来るのではと思っています。
また、S30~S40の黒墓石の多さが、その後の、その地域の黒の多さに比例していると見ています。
そのあたりも係数に加えてみたいです。
(上越は建て替えが多いためS40以前が少ない)
・あと地質も入れてみたいです。
そして返信があり、大宮で事前打ち合わせを行うことになった。
それから、事前打ち合わせのためのパワーポイントに資料を貼り付けながら、考えをまとめて行った。
4.長い1日
8月下旬、大宮駅構内にあるパークサイドカフェに入った。
大宮駅の中に、こんなに静かな場所があったとは驚きだった。
そして、早目に着いたため先にモーニングを食べていた。
そこへ、土居先生が現れた。
すぐに、この人だとわかった。
私はモーニングを食べ終えて、パワーポイントの説明に入り、土居先生は、モーニングを食べながら、パワーポイントをじっと見ている。
私の説明が一通り終わった。
私は、畑違いの民俗学に対して、自分のやり方での調査に、どう反応されるか胸がどきどきした。
・昨今という言葉を使っているが、データをとっているので年代を明らかに
・黒とは、どの部分を指すのか。竿の部分か全体か
・面積あたりの、黒色墓石とするならば、何故、そうしたのか
・年号は西暦に揃える
・宗派による墓地の色縛りが無いことは、民俗学者は分かっている
・石材の大量輸入は、おもしろい経済観点
・日本経済新聞の記事で、引用を探すとよい
これら修正点はあるものの、是非、12月の京都民俗学会で発表をと言って頂いた。
夕方になり、帰りの電車の中で考える。
今日は、伊東に泊まる予定で、大宮からは直通の上野東京ラインの普通電車グリーン席に乗った。
上野東京駅間では、上野から少し登るように電車が進み、山手線よりも少し高い高架になっていて、都会の喧騒を眺めているという感じで、特に二階席からだと非日常感がある。
そういった環境だと、夜であっても頭が活性化されている。
事前打ち合わせでは、私はメモをとるだけで精いっぱいだったが、的確な指摘をされていたなと思い出す。
そして、次に進むためには、何が必要かと問いかける。
今日の朝は、どうなることかと思っていたが、今は発表に向けた資料をまとめることで、考察が深くなっていることを感じる。
伊東に泊まることにしたのは、青春18切符で大阪に戻る中間点として、静岡で宿を探していたが、夏休み期間で三島や静岡市内は宿代が高かったので、伊東に泊まることにした。
東京、大阪間は普通電車だと約10時間かかるが、静岡駅は、ほぼ東西の中間地点なので1日あたり5時間前後の乗車時間となり、少し余裕が出る。
伊東からだと、7時間ほどとなるが、どこも寄る予定はないし、ゆっくりと帰ればよいと考えていた。
しかし、温泉につかりながら、ある事が頭によぎった。
そういえば、何故、草薙にあった寺は、突出して黒が多かったのだろう。
そうだ、途中下車しよう。
5.途中下車
翌日、草薙駅で途中下車し、妙盛寺に向かった。
やはり、黒色の墓数が、付近の寺や墓地よりも突出している。
思い切って、寺の方に聞いてみることにした。
怪しい人と思われないようにと、昨日、土居先生に見てもらったパワーポイントの資料をノートパソコンに映し出し、こういう研究をしていますとした上で「何故、黒色の墓石が多いのですか。お寺で決め事か何かあるのでしょうか」と質問した。
「特に寺が決めた訳ではなく、何でなんでしょうね」と答えられた。
そして、「国道に出られたところに、石材店があるので聞いてみたらどうですか」と助言して頂いた。
石材店には、歩いて10分ほどだったが、真夏で信号待ちの間も汗が止まらない。
今日は土曜日なので、休みなのかシャッターが閉まっていた。
休みなので仕方がないと、駅近くまで戻って来たが、このままで良いのかと思った。
そう、隣の建物では石の加工をしていたので、ひょっとしたら話が出来るかもしれない。
真夏の炎天下にまた、石材店に戻ることにした。
石の加工をされている建物を覗くが、人の気配がない。
また、すごい音を立てて石を削っているので、こんにちはと言っても聞こえないだろう。
音が止むのを待ったが、石を切るのには、相当な時間がかかりそうだ。
そこで、シャッターの閉まっている店舗のインターホーンを押すことにした。
先ほどと同じように、ノートパソコンを起動して店の人が出てくるのを待った。
そして、店の人が出て来て事情を説明した。
すると、「旦那に電話してみるから」と連絡をしてくれた。
「あと、10分ぐらいで帰ってくるから、店の中で待っていて」とシャッターを開けて、墓石サンプルが並ぶ展示室で待たせてもらった。
旦那さんと思われる社長が帰って来て、ノートパソコンで墓石の色の境を調査していることを説明した。
そして、社長から色々な話を聞くことが出来た。
・黒が増えるのは富士川から東
・このあたり(静岡市清水区)では、黒で売れるのは洋型のみで和型は売れ残っている
・東京オリンピック(昭和39年)ごろから墓作りを始めたが、昭和40年後半は、墓を買う人で行列ができた
・東北では、雪が多く目立つようにと、凍害対策に黒が多いと聞く
・黒の墓石は酸化が白より強いので、海沿いに多いのではないか
みんな親切に教えてくれることが、ありがたかった。
家に帰る時間は遅くなるけど、途中下車して良かったとしみじみ思いながら、電車に乗り込んだ。
6.情報収集
大阪に戻ってから、大阪市立図書館で情報取得を行うことにした。
墓石色境で検索するも、さすがに墓石の色境は、これだというのは引っかからない。
かといって、墓石にすると膨大な数の検索結果になる。
結局、墓石の色で検索し、1新聞社あたり、100前後が出て来た。
日本経済新聞2012年2月8日には、ユニーク墓石が関西でも増えたというのが有った。
これは形の話だが、色も同様に多様性が出て来ているといえる。
ただし、寺にある墓地ではなく、民間霊園に多いことが、墓をまわった経験からすると言える。
そこを、学会発表のまとめに持っていこうと考えていたが、止めた。
新聞にも載っているので、それをなぞるために調査をやっていた訳ではないし、土居先生が言われていた民間霊園という定義も難しい。
次に、日本経済新聞1989年8月10日に、墓の色の好み‐西は白っぽく、東は黒っぽいが有った。
昔の石の産地によって色が違っていたが、最近は輸入だと書かれている。
事実としては記事の通りなのだが、輸入になって選択の自由があるのに、昔からの色が好まれる傾向があるという事の説明まではされていない。
そこを突き詰める必要がある。
朝日新聞2003年12月10日では、四国から岩手県に旅行に行ったツアー客が、墓石の大半が黒で墓石談義に花が咲いたとあった。
やはり、西の人は黒の集積にびっくりするのだろう。
「みんな気になるんや」と安心する。
そして、日本経済新聞2004年9月29日では、墓は黒が似合うと書かれている。
西の人からすると、信じられない話である。
結局、データ的な成果は無かったが、東西で色に関する嗜好の違いは確認することができた。
7.溶岩説
12月の発表に向けて、色の境は、ほぼ特定出来たし、輸入が増える1965年(昭和40年)よりも前の、その地域の墓石の色に大きく左右されることは確認できた。
しかし、何故、黒が選ばれるのかに決定的な何かが足らないと考え始めていた。
それが頭の片隅にありながら、10月の下旬に青山さんと長野に旅行に行くことになった。
北陸新幹線に乗ることを目標とし、北陸新幹線、小海線、中央本線とするルートを、まず決めて、宿・観光を決めていく。
宿のコスパ、旅をする人の興味でネタをピックアップし、時刻表に当てはめる。
旅のプランは観光の時間を想定し、時刻表に当てはめてネタの順番を変えたり、時刻表で、列車の時間を変えたりと、プランは無数に存在する。
そうすると、何がしたいのか分からなくなる時がある。
そういう時は、初心に戻る。
何を、この旅に求めるのかと。
今回は、青山さんが好きな温泉をメインとして、私が行きたかった、わさび園を加え、両者が好きなお酒として、塩尻でワインを頂くプランとした。
佐久で温泉の宿に泊まり、小諸に向かい城址を散策することにした。
溶岩が何種類も有り、看板を立てて、何という種類の溶岩かを説明している。
関西では、あまり見られない光景だと、ふと思う。
そして、山本勘助が持っていたという溶岩を磨いた鏡石も、何か気になった。
その後、小海線で清里に向かう。
小海線は、ちょうど紅葉の時期だった。
まわりに民家がない山を登っては、下って行く。
電柱が無く、自然の風景が続き北海道に来ているような感覚を受ける。
そして、本日の宿泊地である上諏訪駅に到着した。
前から目を付けていたタケヤ味噌会館に行った。
展示は少しがっかりだったが、100円豚汁は、優しい味付けと、地元の野菜が感じられて美味しかった。
最後は、宿に向かって諏訪湖を見ながら歩ける公園を散策していた。
公園の中に、大きな溶岩が黒に変色して、相当な数があった。
それらの光景を思い出し、最終日のワイドビューしなので青山さんが、
「そうだ武司さん、諏訪湖で見た溶岩、小諸で見た溶岩と、
経年変化で黒くなる溶岩を見慣れていて、
黒という色に親しみがあるのじゃないですか。
ひょっとして、武司さんが調べられた墓石の色境は溶岩がある、
つまり火山がある範囲との境じゃないですか」。
うんうんと頷く。
「青山さん、当たりの感じがしますよ」
電車は、中津川駅に到着し、旅費節約のために普通電車に乗り換える。
感激したので、売店でビールを買って、普通電車に乗り、二人でつながった事への祝杯をあげた。
8.サイエンスツアー
11月に入り、溶岩をネットで検索していると、国土地理院にて11月末まで「火山の国に生きる」という展示をやっていることを知り、つくばに行く計画を立てた。
南千住で1泊し、つくばエクスプレスに乗る。
加速度が、通常の特急と新幹線の間ぐらいの感じだ。
新幹線ほど、ホールドされた席ではないので揺れというより、Gを受けるという言葉が似合うように思う。
つくば駅に着いて、展示館を巡る1日乗降自由のサイエンスツアーバスに乗り込んだ。
国土地理院の「地図と測量の科学館」で、「火山の国に生きる」に入った。
火山の地図があり、墓石の色境と見比べてみる。
中部については、ビンゴだった。
特に、中央本線の色境が、何故、糸魚川静岡構造線よりも西に離れているのか長年疑問だったが、御嶽山の存在が、答えだと確信した。
その後、バスで地質標本館に向かい、多くの溶岩を確認した。
桜島の溶岩も黒色であったため、日本全国として、溶岩説とするならば、活火山は九州にも存在するので、九州の墓石の色調査も必要だと感じた。
9.京都民俗学会
12月5月、京都民俗学会第283回談話会「未発の葬墓制研究たち」に発表者として参加した。
ロビーで、私を含めて3名の発表者と土居先生で事前打ち合わせをした。
「今回は、墓制研究に刺激を与えたいということで、御三方に、お声をかけさせて頂きました。
レジメのとおり、武司さんにはX軸として拡張を、問芝さんにはY軸として深展を、門田(仮名)さんにはZ軸として省察を、お願いしたいと思います。」
そして、談話会が始まった。
私は、少し横目になり頭を左に動かしながら、後ろを見る。
30~40名ほどのように思う。
学生らしき人も、何人かいる。
土居先生の趣旨説明のあと、いよいよトップバターとして、墓石色境の説明に入る。
前日に、妻にプレゼンをして35分ほどだったので、強調点で時間を使って、ちょうど40分で終わった。
そして、問芝さんから札幌の明治政府の墓地整備の話、門田(仮名)さんから葬墓制研究者の話が続いた。
最後に、土居先生から総括として、私へは
「武司さんの研究は、決してアカデミックなものではないけれど、
知りたいという事から始まって突き詰めていくという、
研究者として私たちが忘れかけていたものを思い出させてくれる」
という言葉を頂いた。
また、夜の懇親会では、「わかりやすかった。これだったら、普通の人が見ても理解できますね。」という言葉も頂いた。
初めての人ばかりなのに、みんな好意的に話してくれて楽しかった。
特に驚いたのが、私の発表を見るために長崎から来た大学生がいたことだった。
昼の研究発表で私から会場のかたに、黒が中心の地域ってありますかという問いに、熊本・長崎は黒という返答があったため、彼と一緒に九州の色境調査をしようと盛り上がった。
本当に、うれしい1日だった。
もう3年ぐらいになるだろうか。毎夜、今日を振り返って、幸福度得点を付けている。
今日も帰りの電車で、手帳に得点を付ける。
初めての9点だった。