いろいろ色の小話1(実行編)
平成24年1月10日
1.墓石の色の疑問
昨年、私は、JR全国走破を成し遂げた。
あるとき、今までにまわった車窓からの風景を、思い出していると、ある事が胸に引っ掛かった。
「そういえば、関西はグレーの御影石の墓で統一されているが、関東だと黒色のお墓も結構あったなぁ。
新潟あたりは黒色の割合が多く、中部あたりで境だったかな。」
そう、私は、埼玉へ転勤で住んだ事があるが、近所で黒色が混ざった墓場を見たとき、非常に怖いと思った。
墓地が怖いわけではなく、墓石の色が統一されていない事が怖かった。
関西人の私にとって墓は、グレーと無意識に植え付けられていたのかもしれない。
逆をいうと、関東の人は、関西のグレーに統一された墓地を見て、どう思うのだろうか。
綺麗だなぁ、と思うのかな。
ええっ、あの個性を主張する関西人が、最後は皆と一緒って、どういうことなんって思うのだろうか。
なぜ墓の色が違うのか?
いや何故、墓石の色が統一された地域がある一方、墓石の色が複数の地域があるのか?
というより、色というのは、複数あるから分類されることにより〝色〝と言えるのであって、何故、統一されているのかが疑問なのではないのか。
とりあえず、墓石を選択する動機や基準は置いておいて、範囲がある程度の地域で分かれる、ということを考察してみようと思う。
私のJR全国走破した経験からだと、墓石の色は、中部に、関西以西のグレー色のみの地域と、グレーと黒の混在する地域が分かれ、九州は黄色っぽいグレー系だったと記憶している。
北海道は・・・忘れた。
というより、北海道は広大で、計画的に街が作られたから、鉄軌道敷の付近に墓地がなかったのかもしれない。
う~ん、北海道の調査もしてみようかな・・・開拓団が広島の人が多いところ(北広島市とか)はグレーで、関東からの開拓団の方が多い地域は、黒色が混ざっているとか・・・JR走破後の、乗り鉄の目的が増えたと、にやけてしまった。
しかし、ここは本題に戻り、とりあえず、本州に集中しよう。
確か東海道では、愛知県と静岡県あたり、北陸では、石川県と富山県あたり、だったような気がする。
よし、まずは静岡・愛知に調査へ行ってみよう!
2.聞き込み
平成24年1月6日午後9時
静岡駅から数分の、ビジネスホテルにチェックインして、せっかく静岡に来たのだから、静岡おでんを食べようと思い、繁華街を歩いた。
何件も長屋が向かい合って、おでんを専門にやっている、おでん横丁のような所があり、小路を5回ぐらい店の中を伺いながら素通りした。
そして、その中の1軒にふらっと入った。
店には、30歳代ぐらいの店主しか居なかった。
というより今日、私は一人だし、そういう所を探して入ったので、当然ではある。
店主と静岡のローカルネタの話になり、店主は静岡市内で育ったそうだが、専門学校で浜松に暮らしたことがあって、浜松に住み始めた頃、初めは浜松の人が何を言っているのか解らなかったという。
例えば、静岡では〝そうだろう〝という標準語を〝そうだら〝と言うが、浜松では〝そうだに〝というらしい。
必死に店主は「〝だに〝ですよ〝だに〝!」と連呼した。
わたしも「〝だに〝ねぇ」と答えた。
しかしその後「〝だに〝も 〝だら〝も〝だ〝から始まっていて、よその人からしたら、同じようなもんやん」と突っ込んでやった。
店主は、「ああ突っ込んでくれてありがとう!」というような微笑を浮かべた。
店主が言うには、静岡は横に長く、同じ県であっても地域性が異なるらしい。
浜松を中心とした西部、三島や沼津の東部、伊豆、そして静岡市を中心とした中部に分かれるらしい。
中部から西部だと焼津・藤枝あたりは中部で、島田あたりは微妙に中部で、菊川になると完全に西部らしい。
また、きっちり墓石の色の会話をして、静岡の墓石色の状況確認を行った。
店主が住む静岡市は、黒御影がグレーに混ざっている状況との事だった。
店主は「黒御影がだんだんグレーになっていくと思ってました」と言う。
「う~ん、風化して色なんか変わらんやろ!」と突っ込みたくなったが、微妙に黒に近いグレーの墓石だと、変色してグレーに近くなるという可能性が無い訳ではないし、突っ込みは行わなかった。
しかし、私はボケタイプだと思っていたが、あの店主と話していると、突っ込みタイプになっている。
この店主の、ボケ力によるものだろうか?そんなことを考えながら、ベットで寝ていた。
3.満員電車で出発
1月7日8時49分発の浜松行き普通電車が、3両で静岡駅にゆっくりと入って来た。
静岡始発で、土曜日ということもあって空いている。
「これならゆっくりと確認が出来るな。まあ、浜松の前あたりからが、
色の変わる所だろうから、出足はゆっくり行こう」と思っていた。
今日の予定は、浜松から愛知の間で色の違う箇所を確認して、三重県に入り、三岐鉄道と近鉄内部線と八王寺線に乗るのが目標で、詳細調査は、電車で確認して後日、車で詳細調査かなと思っていた。
そんな事を考えていると、乗っている電車の横にJR東海の特急ふじかわ、らしい電車がホーム反対側に入ってくる。
その電車は、満席で通路に立っている人もいるほどだった。
何かが違う。
そう思った瞬間に、その電車の扉が開いた。
私は、特急なのだから新幹線に乗り継ぐ人や静岡の用事がある人で、自分が乗っている普通電車には、少ししか乗り込んでこないだろうと高を括っていた。
しかし、見事にそれが覆される。
その特急電車らしい車両から、一斉に、こちらの電車に人が走りこんでくる。
老若男女一斉リレーのような光景。
みんな顔がマジで、こちらを見て走っている。
なんだ、何があったのだと眺めていると、直ぐに席が埋まっていく。
私の前に、おばちゃんとおっちゃんが座ったと思った瞬間、おばちゃんが持っているリュックサックを、向かい側である私の横の空席に放り投げた。
リュックサックの当たる音がバンと私の横で響いた。
すごい!とっさのおばはんの行動は、大阪のおばちゃん的である。
向かいの、特急らしい電車の方向幕を見ると、自由席ばかりだったので、おかしいなと思った。
まず、この状況を理解しようと、時刻表を手にした。
この電車は、一体何なんだ?時刻表を見ると、ワイドビューふじかわ2号が、8時37分に到着になっているが、確か、さっき見たような気がする。
遅れた電車が来る場合は、駅のアナウンスあるはずだし、今時(8時45分)に付く電車はと時刻表を見ると、5時20分東京駅発の普通電車があった。
そうか!あれか!私は、その電車を東京駅で見たことがある。
夜行電車である「ムーンライトながら」で東京駅へ着いた時、向かいに停まっていた静岡行きの普通列車は、特急車両を使っていて、東京の人には、お徳な電車があるなと思った記憶がある。
その目撃した時は、乗り込む人はまばらだった。
今日は三連休の初日だから、この超お得普通電車で、青春18切符を使うことによって、遠くへ行こうという人が、現在、私が乗っている3両編成の電車が、埼京線のラッシュよりはまっしだが、全てのつり革に誰かの手がある、という程度に混んでいる状況を作り出しているようだ。
電車が発車し、三連休の初日の朝に似合わず、東京からずっと各停で来ていて、眠いは、だるいわという顔をした人達が外の風景を眺めている。
しかし、あのリュック投げのおばはんは、どこの人だろうか?全国津々浦々周った私は話声を聞けば、だいたいの出身地が判る。
5時20分東京駅発の普通電車に乗るということは、少なくとも昨日は東京近郊に居たことになる。
夜行バスからの乗り継ぐという手が無くはないがと、時刻表を見る。
山手線は大崎4時30分発が品川経由で東京駅4時51分着が有り、逆だと大崎4時29分発が池袋経由で東京駅5時16分着と山手線なら全ての駅から間に合う。
そりゃそうか、JR東海だって誰も乗れない状況での静岡行きを設定しても意味が無いわな。
東京以西の横浜とかだったら、十分間に合う。座れるかは別だが。
あとは常磐線・総武本線・京葉線・埼京線は間に合わず中央線は三鷹4時40分、総武線が津田沼4時27分発、京浜東北線が大宮4時30分発で例の電車に間に合う。
とすると、おばはんは関東に住んでいる可能性が広がる。
しかし、東京近郊で宿泊という可能性は?私が例の電車を目撃したときに少し無理だなという感覚、つまり宿泊して4時に起きて電車に乗るのはメリットが少ないという感覚、すなわち、それならばムーンライトに乗ればいいので、例の電車に乗っているのは圧倒的に関東近郊の人が多いと思われる。
親戚の所に居たという可能性や、ネットカフェの可能性はどうだろう。
あのおばはん以外には、50代ぐらいの旦那?っぽいおっちゃんと私の隣に居る30代ぐらいのにいちゃん(息子?)というグループ構成からすると、親戚の家に泊まるというのは有っても、ネットカフェは無いだろうと思われる。
としても、関東に住んでいる関西出身のおばちゃんという可能性もある。
でも、関東に住んでいる関西のおばちゃんが、中部以西におっちゃん息子と登山かい?(おとん息子とは断定出来ないが・・・)
ああ、おばちゃん、お願いやから、しゃべってえなぁ。
そしたら、頭のもやもやが、消えるのに・・・でも列車は混雑しているから、しゃべるわけがない。
「こんなに、心から、誰かの声を聞きたいと思うのは、久しぶりやなぁ。」と心の中で、つぶやくが、それが、おばはんかいな、と溜息をついた。
そう、私の任務は墓石の色の調査だから、これ以上、この件で時間をかけるわけにはいかない。
そこで、自分の中で結論を出すことにした。
関東7で関西3。
何故って、確率的には関東である可能性が非常に高いが、
リュックサック投げの時のおばちゃんの冷静・周りに気兼ねしない顔つきは関西を匂わせる。
ということは、「結局どこまで行っても関西かいな」と自分に突っ込みを入れながら、この件に幕を閉じた。
4.西行き車内実地調査
そんなことを考えているうちに、列車は、焼津あたりに差し掛かっていた。
まあ、調査の本番は浜松手前あたりやと思いながら、横のおにいちゃんに、変に見られないギリギリの角度で、外を眺めた。
すると、焼津駅と西焼津駅の間ぐらいで墓地が見えた。
列車がその墓地を過ぎた時に、衝撃が私の頭を襲った。
全てグレー・・・ええっ・・・
早い早すぎる。
何でだぁ?
一瞬、頭が混乱した。
おでん屋のにいちゃんは、静岡市には黒御影が有るって言うてて、焼津は静岡中部やろ~!
ということは、静岡市と焼津市の中に境があるのか?
いや、イレギュラーだったのかもしれない。
イレギュラーってどういう意味だ?
うどんつゆみたいに、愛知あたりの中間味地帯みたいな、いわゆるグレーゾーンか?
グレーゾーンって、墓石の色が全てグレーだったらグレーゾーンじゃないよね。
黒御影石の割合なんやろか。
いやあ割合ではない。
確かに、関西でも、たまに黒御影石のお墓は見る時があるけど、何て言うのかなあ、ほんと特別って感じで、1つ2つ程度で、かつ地域毎というより、ある集落でたまにという感じやねんな。
というか、さっきのは、完全オールグレーやったやん。
墓石の色マップにおけるグレーゾーンとは、オールグレーと黒有りとが、交互とかランダムに発生する区域なのだろうか。
考えていても仕方ないので、とにかく西に向いて進んで状況を確認しよう。
スマホのマップで、動いている列車が、地図上どの位置か確認しながら外を眺める。
藤枝駅東あたりで墓地を発見。
グレーだ。
慌てて、ポイントを落として、後々、整理するときに位置が特定し易いように番地をメモ帳に書き写す。
<藤枝市駅前1丁目16-5付近>
次に六合駅東でも墓地発見。
やはりグレーだ。
<藤枝市上青島1800付近>
さらに金谷駅東でも墓地発見。グレー。
<島田市金谷本町1930-2付近>
この金谷駅は、駅東近くに大井川があり、大きな地形分断要素の前後で同じグレーということは、浜松あたりもグレー統一であり、西からのグレー統一の流れが、焼津近郊まで来ていると考えて間違いない。
とすれば、静岡に戻って確認するのがベストだ。
幸い今日は青春18切符だから、どこの駅でも降りられる。
ようやく満員電車から開放されるという少しの嬉しさもあって、軽やかに駅に降り立った。
5.東行き車内実地調査
金谷駅9時30分発、静岡行きの普通電車に乗り込んだ。
今度は海側を確認することにした。
西焼津駅東もグレー<焼津市西焼津19>、そして一番始めに衝撃を受けた焼津市五ヶ堀之内443付近の墓地を通り過ぎる。
そして、焼津から静岡市に入るトンネル前で墓地発見。
<焼津市小浜153付近>グレーだった。
間違いない。
静岡市と焼津市の境に、墓石の色の境界線がある。
しかも中間の領域など無く、どちらかに選択され、ある所で分断されていると推測される。
その分断箇所は、恐らく日本坂または安倍川。
ということは、静岡駅から東へ進み、黒御影石が割合的に複数有ることを確認出来れば、また西に進むことで絞れる。
ということで、静岡10時3分発の興津(おきつ)行きに乗り込んだ。
興津は、ぎりぎり静岡市内で静岡駅から15分ほどだが、きっとその間に黒御影石が見られると確信した。
JR草薙駅と清水駅の間で墓地発見。
<静岡市清水区追分2丁目12-1付近>黒御影石が2割程度あることを確認出来た。
絞り込んだと、電車の中で小さくガッツポーズをした。
興津駅西の山側斜面に、墓地を発見。
あれ、グレーしかない。
これは確認しないといけないなぁ、ということで興津駅を降りた。
6.徒歩実地調査
興津駅を降りて、先ほどの斜面にある墓地は、清見寺という所だと駅の地図で確認した。
清見寺へ歩いて行く途中に、理源寺というお寺があり墓地を発見。
やはり2、3割程度の黒御影石を発見。
そして清見寺に到着。
しかし、中が見れない。
門をくぐらないと確認出来ない。
本当に、こんな理由で入っていいのだろうか。
少し考えたが、不純な理由ではないので、「どうか、お許しを」と手を合わせてから門をくぐった。
確認したところ割合的には1割程度だが、関西で本当にたまにお目見えする偶然という感じではない。
よし、戻ろう。
7.静鉄での車内実地調査
JR草薙駅から興津までは、黒御影石を確認出来ているので、あとは草薙駅から静岡市内と的を絞っていくため、JR草薙駅で降りて静鉄に乗り変える。
草薙から静岡中心部までは、大きな地形分断が無いため、黒御影石があると推測される。
スマホで静鉄の鉄軌道付近に近いお寺を探す。
日吉町駅西に華陽院という寺がある。
ここで黒御影石有りなら、駿府城までは黒御影石有りとなる。
もし、安倍川と駿府城の間がグレーのみだったら、それは、徳川家康公が密かに作った掟かもしれない?
でも、そのような掟が有れば、おでん屋のにいちゃんは認識している筈では?
いや、墓のことは、自分が準備する前まで、認識などしていないのではないか。
何やらプリンセストヨトミのように、ある年齢にならないと誰も教えてくれないことが、静岡市にもあるのかなと考えていた。
すっかり頭だけが、凄まじい集中力で物事を考えていると、先ほどまで駅ホームに居た人が居ない。
電車が行ってしまっていた。
そういえば、考え事をしている時に視線を感じたような、人が移動しているような感覚が少しあった。
そうこうしているうちに電車が来た。
意外に数分単位で電車が運行されている。
「静岡の足なんやね」と心でつぶやき、電車に乗り込んだ。
これから、電車での調査のラストスパートが、静鉄草薙駅から終着駅の新静岡に向けて始まると、気を引き締めた。
途中、県立美術館前駅の西に墓地を発見。
黒御影石の割合が半分までではないが、相当有る。
そして、華陽院では、やはり黒御影石を発見。
晴れ晴れした顔で新静岡駅を降りた。
8.まぐろ料理店にて
新静岡駅を降りると、正午を過ぎていた。
これから、どう調査しようかと考えたが、とりあえずランチにしようと街を散策し、まぐろ料理店で、まぐろ山かけ丼と鯖竜田揚げ定食890円を注文して、しばし休憩。
ここまで絞り込んで、3箇所が墓石色の境界線と考えられる。
西から日本坂、安倍川、駿府城。
まあ駿府城はないだろう(もしそうだったら、すごい話だが)。
しかし、境界線に至る何故を考えれば境界線も、ある程度見えてくるかなと考えた。
地形的要素で言えば、焼津市と静岡市の境でもある日本坂説。
スマホのマップで見ると、ここは山手に1号線、海側に国道150号線と県道416号線しか道路はなく、昔から人の行き来や、当然ながら、墓の行き来も険しい箇所だったと想定できる。
また、安倍川説は、今でこそ何本もの橋がかかっているが、昔は相当な難所であったと考えられる。
そういえば、昔、四日市の居酒屋で店主が熊野の出身で、店主のおばあちゃんは行商で名古屋には行かず、奈良に行っていたという。
距離的に近い名古屋ではなく奈良に行ったのは、長良川や木曽川を越えるのが大変だったから、遠くても奈良に行っていたという話が思い出された。
それぐらい橋というのは、人の生活に大事なものであり、川は地域を分断する要素だといえる。
静岡は川が多く、天竜川・大井川・富士川と、おでん屋の、にいちゃんが分けていた地域が、それら川でほぼ分断されている。
そうすると安倍川は幅が広くはあるが、やや分断要素としては弱く感じられる。
しかし、電気のヘルツの分断は富士川だし、うなぎの背・腹のさばき方の中間点は浜松にあり、この墓石の色の分断が安倍川なら、静岡ってすごい所なんだなぁと思った。
県庁の人は、大変やろうなぁと心配してしまった。
地形的要素ばかり挙げているが、別の要素はどうだろうか。
正月に親戚が集まった時に、例の墓石の色の違いの話をすると、兄が「黒御影石の方が3倍ぐらい、グレーの見影石より高いらしいで」と言っていた。
ということは、my仮説1の関西人は死ぬときぐらいは、皆と一緒の色をという私の仮説は、安いからという理由になってしまうのか・・・いや、徳川家康公説が有る。
う~ん、でも徳川家康公説は無理があるよなぁ。
やっぱり、年末にネットで調べて殆どが書いていた、墓石の産地が西はグレーの御影石が多く、黒御影石は東で多いというのと、地形的なところがミックスされた感で落ち着く感が否めない。
しかし、同じ静岡中部で近い距離にある焼津の人は、グレーの墓のみを選択し、静岡市の人は黒御影石の選択肢があるというのは、どう説明出来るのだろうか。
この局地的色選択の差異が物語るのは、地形以上に動機や風習が影響しているという事だ。
とすると、今から墓石屋や葬儀社をまわるか?まわっても変な顔をされるだろうなぁ。
「大阪は何で墓石にグレーが多いの?」と地元の高槻駅にある墓石屋さん聞いたら、少し変な顔をされて、「そういえばグレーですね。」としか返答がなかった。
う~ん、ここからは、私だけでは、正直きついな。
そこで、頭に浮かんだ。
「ここは関西の切り札。ナイトスクープやな。」
探偵ナイトスクープに、境界線を一緒に突き止めてもらうと共に、墓石の色選定の動機や風習なんかを、焼津市と静岡市で調査してもらうしかないなと思った。
そして、静岡を去った。