2018年3月31日三江線が廃線に。
1964年4月では、どういう列車が走っていたのでしょうか?
時刻表を開いて、当時の旅プランを立ててみましょう。
さあ、1964年4月の旅へ出発進行!

1964年4月の時刻表

索引地図の三江線
あれっ!開通していない



Wikipedia – 三江線リンク
ウィキペディアによると – 三次駅間を結ぶ陰陽連絡路線として、1930年代から長い期間をかけて建設されたが、全通はきわめて遅い1975年(昭和50年)で、すでに地域間移動は道路利用主体に移行していたとのこと。
1972・1983・2006・2013・2018と豪雨や豪雪で運休があったようだ。

1964年当時の時刻表を見て乗り鉄の人達は、どう走破しようと考えただろうか。
この2つの盲腸線を完乗するために木次線経由だと、相当な遠回りとなる。
とすると、口羽駅から浜原駅まで歩くか?

5時間歩くのは、ちょっと…

何か手がないものか?
索引地図を眺める。
バスは、口羽駅から浜原駅間は無いが、三次から浜原まで繋がっている。
頭の中もピーンと繋がった!
その繋がりを時刻表で繫いでいくと

MYルールで、夜は完乗カウントしないので石見江津駅発は無しとして、三次8:17発で石見江津駅(1970年に江津駅に改称)に14:13に着く!

1964年だとインターネットも無い時代で、バスが浜原駅で降りれるかは、行ったところ勝負だなぁ。
わたしが乗り鉄を始めた頃は、携帯やインターネットが一般的になる少し前だったので、時刻表と現地の聞き取りで旅していたよなーと思い出した。そういう出たとこ勝負も面白かったなぁと。

時刻表に目を向けると、備後落合に立食いうどんがあったり、「ちどり」の説明があったりと驚く。
「ちどり」という急行名の説明があり、名前に意味のある急行や特急が全国にいっぱいあったのは、羨ましく思う。

  これからも1964年の時刻表旅を、毎月投稿して行きますー