豊中市立野畑図書館での「マルーンカラー宝塚線時刻表の変化を知ろう」発表準備のために阪急電車のことを色々と調べていら、能勢電が能勢口駅(現在の川西能勢口駅)から国鉄の川西池田駅の近くまで鉄道を走らせていたことを知りました!
1964年4月では、どういう状況だったのでしょう?
時刻表を開いて、当時のを見てみましょう。
さあ、1964年4月の旅へ出発進行!
1964時刻表と地図をミックスしました。
19時10分が終電って、かなり乗客が少なかったんでしょうかね?WiKiってみましょう
Wikipedia – 川西国鉄駅前リンク
ウィキペディアによると – 当初「池田駅前」として開業も、国鉄池田駅が「川西池田駅」へ改称されたため、「川西国鉄前」に改称している。その後、塚口駅~宝塚駅間が電化され、その電化から1年も持たずに廃止となったそうだ。
また、当駅が存在していた時期の大半において川西池田駅の駅舎は現在より西にあり、徒歩連絡が容易になったのは川西池田駅が移転された1980年(昭和55年)から1年余りの間に過ぎないとのこと。このあたりは、国土地理院の航空写真を見てみると分かりやすかった。(地図・空中写真閲覧サービスへのリンク)
川西能勢口~川西池田に電車があれば、長い連絡通路を歩くこともなかったろうにと思ったりもするが、人の流れがあるから百貨店や商業施設、そして街が発展したともいえる。まあ、健脚には歩くのはいいことですしね。
今回は、現地調査をしてみました。
当駅折り返しが能勢電で、同一ホームで阪急電車に乗り換えできます
梅田方面へ発車した阪急電車。
阪急へ引き込み線があり朝は直通電車も
ここが、池田駅前駅あたり。
痕跡は道路の曲線ぐらいでしょうか。
まだ痕跡があった!
この高低差の低地の端が鉄路だったんだ。
だからカーブしていたんですね!
鉄道というネットワーク線も、地形の影響を大きく受けているんだと実感。