青春18きっぷで岐阜に向かっているとMiyaさんが、「大垣~関ヶ原」間の山手側に乗った?」と問いかけが。。
あとから思い出したのだが、下りの特急に乗って、ここはどこを走っているのだろうと数十年前に感じた薄らとした記憶が蘇ってきた。

現在の時刻表だと確かに特急は別線を通っている

地図で見てみる。
東海道本線の【上り】は垂井線、【下り】は新垂井線(迂回線)だったんだー
Miyaさんが「勾配があるから下りは平坦なところを走っていた」だから迂回線なんですね。なるほどー

廃駅のレイヤーも重ねてみたら新垂井駅が存在していた!
 

1964年ではどうだったんだろう?

1964年4月の時刻表の出番です

1964時刻表の索引図を見てみると…
確かに新垂井駅が存在していた。

1964年【上り】も新垂井駅は存在していない。
ちなみに、いま米原発の豊橋行き新快速は2時間10分ほどなので1時間ほど短縮していますね。

大垣5:53で東京14:10の普通列車、いまなら18キッパ-だらけだろうなー

そして本題の【下り】に新垂井駅アリ!

 


普通列車は停まっていたんですね。
ただし、下りでも垂井駅経由はあったようです。
そのあたりの詳しいことは ⇒ Wikipedia新垂井駅

次は【下り】特急乗車と、新垂井駅に特急通過を撮影! に行こうかと.