岡山・広島と県ごとの廃線を調べたので、やはりこうなると山口県も調べてみようかと。
1964年には、山口県にはどんな路線があったのでしょうか?
出発進行!

1964年4月の時刻表の出番です

1964時刻表索引地図の山口県下は、いまと比べて廃線が3つあるのを確認

まずは山陽本線の1964年状況が気になります

早朝は寝台列車ラッシュですね

山口県で乗り鉄といえばココの本数が気になりますね。いまは朝2本往復と夕方1本往復しかありませんからプラン作りの超難所。むかしは結構な本数が有ったんですね。

そしてこちらも今は1日7往復ほどの区間。

廃線Mapで山口県内を確認すると舟木鉄道と長門鉄道は1964年時点で既に廃線しているなぁ。

防石鉄道という社名は周防と石見を結ぶ目的からつけられたんですね。やがて国鉄山口線が全通したため陰陽連絡の夢は破れた。1964年(昭和39年)7月1日 防府 – 堀間全線廃止⇒ Wikipedia 防石鉄道 より

50分ほどかけて堀駅へだったんだー

舟木鉄道の船木は、旧楠町(2004年11月に宇部市に編入)の中心市街でだったとのこと。周辺には小規模な炭坑が点在し、石炭運搬鉄道としての役割も期待されていた。1961年(昭和36年)10月19日全線廃止された。⇒ Wikipedia 舟木鉄道 より

厚狭駅-南大嶺駅-大嶺駅間の大嶺線は大嶺炭田から産出される石炭を運ぶために山陽鉄道が1905年(明治38年)に開業させ翌年国有化された。美祢線に編入後、大嶺支線と呼ばれていた南大嶺 – 大嶺間は1997年(平成9年)に廃止された。⇒ Wikipedia 美祢線 より
吉則駅は1963年(昭和38年)10月1日に美祢駅に改称された。⇒ Wikipedia 美祢駅 より 

長門鉄道はもともと、西市からの木材輸送を目的に建設されたのが同線である。そのため、鉄道省線(国鉄)との貨車直通を考慮し、軌間は1067mmを採用していたとのこと。1956年(昭和31年)5月1日 鉄道事業を廃止⇒ Wikipedia 長門鉄道 より

山陽電気軌道は1926年(大正15年)から1971年(昭和46年)まで走っていた⇒ Wikipedia 山陽電気軌道 より

1949年(昭和24年)長府駅 – 鳥居前を複線化。このころ長府駅の配線を変更し山陽本線と貨車直通化していたとか。(上記と同じくWikiPedia山陽電気軌道より)

瀬戸内と日本海を結ぼうとした防石鉄道、いまは山陰本線、美祢線、山口線と3本がありますが、違う海が同じ県にあり、結ぼうというのが地形的な山口らしさですね